『呪い』
青空に散在する雲・・・それっきりである。
呪いとは悪意を感じる人を祈りによって貶める行為であり、相手の不幸を祈願する不道徳な汚れた感情である。
それが、感情を伴わない自然の景色である(空と雲)を映して『呪い』と名付ける根拠はどこにあるのだろう。
空の景色は常に変化していく。雲の形態が留まることはあり得ない。
不順な天気は生活の糧である生産を危機に陥れるから天に向かって呪うことはあるが、それはむしろ祈願であって、感謝につながる傾向が強い。
呪いは人間の抱く感情であれば、この空と雲の下には人間が存在している。天を仰ぐ、見上げる眼差しとの距離にうごめく混濁の情。
業は常に人の中に潜んでいる。払っても払いきれず、雲のごとく不意に現れては霧消していく。不穏な呪いの感情は、在るとも無いとも形を表出しない。
不定形な雲は『呪い』とは無関係である。それを『呪い』と名付けることで無理にもイメージを重ね合わせようとする。名付けることの暴力である。
自然現象は黙して語らないが、人間は言葉をもってイメージ化する。しかし、それは決定ではなく常に流動的であり存在と無の間を行き来する。
『呪い』と名付けたことで発生する問題は、存在と無あるいは肯定と否定をあいまいに抽象化し、『呪い』という題名自体が雲のように浮遊するという結果を生んでいる。
『呪い』は自然現象に対し、選ばれた暗示の言葉に過ぎず、人はその寓意性を生きている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。
☆試みが逸(隠れている)章(文章)の妙(不思議)。
講(はなし)を判(区別し)較(くらべ)、詞(ことば)を散(バラバラにして)図る。
「三年間ですわ」と、オルガはゆっくりした口調で言った。「もっと正確に言いますと、祭典の日の二、三時間のあいだのことですわ。祭典は、村はずれの、小川のほとりにある草地でおこなわれました。
☆「新しい圧力」と、オルガ(機関/仲介)は、ゆっくり言った。さらに言えば、先祖の要塞は、少数派の境遇でした。