『説明』(二作品)
ガラス瓶と人参、ガラス瓶と人参の合体したものが描かれている。
一方は、石のブロック(人智)の上にあり、背景はダークグリーンのベタ(無空)である。
もう一方は、板(?)の上にあり、背景は見渡す限り山また山の頂である。
このガラス瓶と人参の関係を称して『説明』と言っている。
ガラス瓶(無機質)と人参(有機質)は、元来付着・融合はあり得ない。ガラス瓶は人知の賜物であり、人参はおおむね自然の賜物である。
要するに異質であり、世界を共有することなどは絶対に不可能なものを、無理に・・・暴力的に結びつけている。
物理的な無理難題も、精神界では可能である。言葉で否定されるような状況も、即物的な絵画表現(イメージ)ではまかり通ることの『説明』である。
過去・現在・未来の錯視された複合、現世と冥府の接合など、時空を自在にコラージュしていることの、わたくし(マグリット)の『説明』であります。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
誰が投げたかライフブイが一つ飛んできましたけれども滑ってずうっと向ふへ行ってしまひました。
☆推しはかる等(平等)が逸(かくれていること)を、秘(人に見せないように隠した)記である。括(一つにまとめた)交わる講(はなし)である。
「三年間でこんなになってしまわれたんですか」と、Kはたずねたが、依然としてふたりの老人と家族用テーブルのある部屋の隅っこ全体にたいしてはなんの同情ももたず、嫌悪だけを感じていた。
☆新しい圧迫(迫害)でこんなになってしまったんですか。ずっと前のいけにえのの台に代わって、来世での少しも憐みのない親し気な低さは、単に不快なだけだった。