月の第一水曜日、今日は「歩こう会」の実施日。
10キロ以上を歩き通す自信がない。でももし止めてしまったら、この先老化は加速をつけて進んで行くに違いない。
なんとか頑張って行こうか・・・。
「あなたねぇ、人から『大丈夫?』って声がかかったら、その時が止め時よ」という先輩のアドバイス。
メンバーに励ましてもらって今日まで続いているけど、甘えてばかりはいられない。
《ああ、どうしよう》
いつもいつも考えている。
ため息ばかりついていても仕方ないから、とりあえず今日は行く。(自信ないけど・・・)
『美しい言葉』
バラの香気が、バラを膨張させた形に立ち上っている。
その真上には、見えないはずの南中した三日月がある。
美しい言葉には《誇張》と《幻惑》があり、それは必ずしも真実を伝えず、曖昧模糊としている。心地よい甘さと隠れた情熱が放つ美しい言葉の虚実。
「お天道様に誓って(真実を述べる)」と太陽を引き合いに出すことがあるが、ここでは、太陽の光に薄らぎ見えない南中の三日月を真上に置いている。要するに真実は隠れて見えないことの暗示だろうか。
『美しい言葉』は儚い幻想であるが、幻惑の魔力を秘めている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
二人は云ひながら、その扉を開けました。するとその裏側に、
「注文はずゐぶん多いでせうがどうか一々こらへて下さい。」
☆字の図りごとを運(めぐらせている)。
秘の理(物事の筋道)の則(道理)を注(書き記す)。
他(ほかのもの)が逸(かくれている)。
溢れる化(教え導く事)がある。
いまでも母がそれをなんとか担っている、とは言えないでしょう。だって、母のこころは、あのころからすでに錯乱していたのですから。
☆そもそもわたしたちの欺瞞は、今日でもなお言うことが出来ないのです。すでに当時から感覚は混乱していたのですから。