なにか、《歩き通せるか否》の不安から重い気持ちで出かけた「歩こう会」。
なのにメンバーに会い、久しぶりの挨拶を交わしているうち、何か元気になったような錯覚?
京急馬堀海岸駅から走水~観音崎~博物館脇で昼食~たたら浜~鴨井漁港~東叶神社~渡船で西浦賀~京急浦賀駅まで約10キロコースを何とか無事にクリアー。
(歩けるかもしれない)という幻想が(歩ける!)という確信に変わる。
そのすべてはメンバーのおかげ、歩けない意気地なしのわたしを歩かせてくださって本当にありがとうございました。
『心臓への一撃』
バラ一輪が雄々しいまでに咲き誇っている。
しかし地面は岩場もしくは不毛の地であるような荒地であり、空は暗雲垂れこめ、不穏さを醸し出している。
水平線は左半分は明確なのに対し、右半分は曖昧にぼやけている。
蜂の一刺しという事件の暴露があったが、愛と美の象徴であるバラにも賛美に隠れた脅威があるのではないか。
バラのトゲが先鋭な短剣に変容しているこの画を差し出し『バラの一撃』と名付けている。
バラは永遠の憧れであり、その神秘は計り知れない魅力に満ちている。即ちそれは正体を掴みえない女に似ている。姿かたちは見えているが、その内実は伺い知ることが出来ない。
半分の真実と半分の曖昧な怪しさは不穏な空気を巻き込み、常時、一撃を隠し持っているのではないか。
『心臓への一撃』は憧憬を覆すかもしれない・・・秘密裏の反撃の刃への恐れである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「これはぜんたいどういふんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。「うん、これはきつと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういふことだ。」
☆真(まこと)の詞(ことば)は信仰の註(意味を解き明かす)。
分けて兌(とりかえる)途(みちすじ)を、試るみること。
しかし、アマーリアは、苦悩を担っただけでなく、それを洞察する頭脳ももっていました。わたしたちは、結果だけしか見えませんでしたが、あの子は、原因も見ぬいていました。
☆けれど、アマーリアは悲しみを担っただけでなく、それを理解する力もあり、単に結果だけでなく、理由を見抜いていたのです。