続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

何故?

2017-02-10 07:02:04 | 日常

 説明のつかないことが日常生活で起きることがある。

 タブレットが黒い画面のまま動かなくなってしまった。去年の春やっぱり同じ状況に陥り新しいものに買い替えたばかり・・・。
(新しい機器なんてこんなもんなのかな)と思っていた。が、二日ばかり放置したら赤く小さな点灯がポツリ・・・(えっ、うそ!直ったの?)
 電池のマークが点き、充電が始まった。半日ばかりで充電終了。そこで手に取ると再び画面は真っ暗。(やっぱり駄目だったか)

 急ぎ大型電気店へ直行。ところが6・7・8日と臨時休業の張り紙。

 パソコンがあれば、何もタブレットなんか要らないか、とも。

 そして3日が経ち9日の昨日、(一応このタブレットも持参して)と、見ると再び赤いポッチが点いている。
 前回のバカバカしさを踏まえて、それでも念のため充電を繰り返してみた。

《復活!》
 よく理解できないけど、今度は動く。直ったのである。
 俄かには信じがたく、恐る恐る・・・(直っている!)

 こんなことってあるの?


マグリット『説明』

2017-02-10 06:39:42 | 美術ノート

 『説明』

 物理的には説明のつかないようなものが並んでいる。
 空き瓶は無機・非食料であり、人参は有機・食料である。この二つの物体が化合することなどはあり得ないが、合体の様相を呈した奇妙なものが並置されている。理を外すというよりは、すでにイメージとしての空想、精神界の解放・自由である。

 空き瓶と人参の合体は、本来の空き瓶と人参よりも大きく膨張し光(輝き)も増長されている。
 非現実(空想)は現実(実在)よりも、印象を強くするものかもしれない。
 有り得ないことは、在ることを凌駕する力をもって鑑賞者を刺激する。すべては人智の成せる技であり、イメージは存在物から遊離する隠れた論理がある。

 わたくしマグリットの追及する世界は、このような構造が原理である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2553。

2017-02-10 06:21:11 | カフカ覚書

親類の人たちの援助もなくなり、わたしたちの財産も、ほとんど使いはたしてしまいました。そして、あなたもご存じのように、人びとがわたしたちを軽蔑するようになったのも、ちょうどこのころからです。


☆近親の補助も貯えも、わたしたちの手段はほとんど尽きました。あなたも知っているように、謀叛が始まったのもちょうどあのころからだったのです。