説明のつかないことが日常生活で起きることがある。
タブレットが黒い画面のまま動かなくなってしまった。去年の春やっぱり同じ状況に陥り新しいものに買い替えたばかり・・・。
(新しい機器なんてこんなもんなのかな)と思っていた。が、二日ばかり放置したら赤く小さな点灯がポツリ・・・(えっ、うそ!直ったの?)
電池のマークが点き、充電が始まった。半日ばかりで充電終了。そこで手に取ると再び画面は真っ暗。(やっぱり駄目だったか)
急ぎ大型電気店へ直行。ところが6・7・8日と臨時休業の張り紙。
パソコンがあれば、何もタブレットなんか要らないか、とも。
そして3日が経ち9日の昨日、(一応このタブレットも持参して)と、見ると再び赤いポッチが点いている。
前回のバカバカしさを踏まえて、それでも念のため充電を繰り返してみた。
《復活!》
よく理解できないけど、今度は動く。直ったのである。
俄かには信じがたく、恐る恐る・・・(直っている!)
こんなことってあるの?
『説明』
物理的には説明のつかないようなものが並んでいる。
空き瓶は無機・非食料であり、人参は有機・食料である。この二つの物体が化合することなどはあり得ないが、合体の様相を呈した奇妙なものが並置されている。理を外すというよりは、すでにイメージとしての空想、精神界の解放・自由である。
空き瓶と人参の合体は、本来の空き瓶と人参よりも大きく膨張し光(輝き)も増長されている。
非現実(空想)は現実(実在)よりも、印象を強くするものかもしれない。
有り得ないことは、在ることを凌駕する力をもって鑑賞者を刺激する。すべては人智の成せる技であり、イメージは存在物から遊離する隠れた論理がある。
わたくしマグリットの追及する世界は、このような構造が原理である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
二人はびつくりして、互によりそつて、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。
☆字の図りごとは、語(ことば)の秘で解かる。
弐(二つ)の質(内容)は新しい構(しくみ)である。
親類の人たちの援助もなくなり、わたしたちの財産も、ほとんど使いはたしてしまいました。そして、あなたもご存じのように、人びとがわたしたちを軽蔑するようになったのも、ちょうどこのころからです。
☆近親の補助も貯えも、わたしたちの手段はほとんど尽きました。あなたも知っているように、謀叛が始まったのもちょうどあのころからだったのです。