『ヘーゲルの休日』
雨傘の上に水の入ったコップが乗っている図を提示し、背景は時代を確定しないベタである。
マグリットは「コップにつけた一本の線を100回か150回描いた後、この線はコップの口が拡がり、雨傘の形になり、雨傘は次にコップの中に入り、最後に、コップの下に来たのです」という旨を述べているらしい。
コップの中の一本の線を水平線だと仮定すると、コップの口が広がるという現象は世界であり、雨傘は人類の叡智ではないか。
叡智がコップの中に入るというのは閉じられた世界(未発展)を表し、最後に雨傘がコップの下にきたというのは、叡智が世界を支えているという図ではないか。大きく頑強そうに見える雨傘ではあるが、コップに暗示される世界を支えるには危ういものがあり万全とは言い難い。
精神は自由である。しかしその存在の立脚点は見えず不定である。どんなに命題を問い繰り返しても決定的な答えに辿りつかない。
この雨傘の上のコップの水が安定だとは誰も考えない、安定に見えるだけである。
ヘーゲルならば、この問いにどう答えてくれだろうか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
すこし行きますとまた扉があつて、その前に硝子の壺が一つありました。扉には斯う書いてありました。
☆講(はなし)の秘の全ては照(あまねく光が当たる=平等)である。
詞(ことば)に逸(隠されている)秘を詞(ことば)で署(書きつける/配置する)。
また、策略か偶然によって会ってもらえても(父からそういう報告を受けるたびに、わたしたちは歓呼の声をあげ、手をもみました)、すぐさま追いはらわれて、もう二度と会ってもらえませんでした。
☆策略か偶然によって会ってもらっても(このような報告を受け、わたしたちは歓声をあげ国家を愛し小舟を停めました)けれど、尊厳は即座に追いやられ、再び歓迎されることはありまっせんでした。