続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

魔法が欲しい。

2017-02-05 07:00:09 | 日常

 今日まで69才、明日は70歳の誕生日。
 思えば遠くに来たもんだ…って感じ。

 小学生の時、校長先生が「私は21世紀まで生きられませんが、あなたたちは21世紀を見ることが出来るでしょう」と話されていたけど、1917年すでに17年もオーヴァー。(孫たちは22世紀を見るかもしれない)などと考えると、時間というものは着々と静かに進行していくんだと思い知らされる。

 時の中に埋もれ死んでいく、当然の理に苦笑している。(もう少しの辛抱?)
 軽い存在感、薄っぺらな日常…せめて身辺を整理し掃除を心掛け(きちんとした人)として生活を全うしたい。
 繰り返さざるを得ない家事という作業を放棄せずにいたいけれど、だんだん億劫になってだらしなさが胸を衝く昨今である。

(これじゃダメだ)反問しているうちにすでに日暮れて…(これじゃダメだ)と肩を落としている。

 70才、まだ頑張れるだろうか?
 ♪最後の一秒まで~♪

 自分を暗示にかける魔法が欲しい!!


マグリット『光の帝国』

2017-02-05 06:24:43 | 美術ノート

 『光の帝国』

 青空に浮かぶ雲、まさしく真昼である。しかし地上は暗き薄明かりが見える深夜の景である。
 決して合致しない二つの景が一つの画面(空間)に収められている奇異をもって「光の帝国」と名付けている。

 天然の自然に対して、社会の暗澹・閉塞の対比だろうか。光あふれる自然に及ぶべくもない社会の翳り。
 この対比には恐怖が隠れている。身を潜めるような閉塞感、静まった沈黙には不穏な空気感が漂っている。

 昼なお暗い社会(国)の空気かもしれない。時代の観測、抑圧された不満、声なき声の主張、マグリットの私見であり民意であるかもしれない。

 時空に不一致はあり得ないが、解放された精神界においては物理的条件は通用しない。心を揺さぶる景にこそ真実が隠されているし、鑑賞者の納得を得るものかもしれない。

 昼と夜の景の並置、その亀裂の深い溝に秘めた思いが隠ぺいされているが、それを覗き見るか否かは鑑賞者の自由に委ねられている。


『城』2548。

2017-02-05 06:01:32 | カフカ覚書

わたしっちは、一台の手押し車で二、三度往復して、所持品をここへ運んできました。バルナバスとわたしが車を引っぱり、父とアマーリアが、うしろから押してくれました。


☆わたしたちは先祖の事件の経歴によりこちらへ来ることになったのです。バルナバスとわたしが躊躇していると、父(先祖)とアマーリアが小舟の手助けをしてくれました。