『青春の泉』
石化している(ように見える)鈴(言葉)・鷲の頭部をもつ石碑・膨張した一葉(葉脈に見えるものは根のようにも見える)。
背景は夕陽だろうか。精神的な活力、彩度を少し落としているが燃えるようなエネルギーを彷彿とさせる。
石碑には《ROSEAU/葦》の文字が刻まれている。葦といえば(人間は考える葦である)というメッセージと直結するイメージがある。
石碑(思考)は、鈴(言葉)と一葉(イメージ)を誘引しており、力強い鷲の頭部は、あたかも羽を広げる飛翔のイメージが内包されている。
夕陽が差す反対側(影の方)を向いている鷲の頭部、再び上る明日(東/未来)を直視しているようである。
石碑(墓碑・墓碑銘)は死後の風化をもたらすが、刻まれた《葦》の文字が消えていない。思考の勇躍は死して尚飛翔のエネルギーをもって再来する。《泉》という自然の噴出、常なる新鮮は決して死滅することがないという表明である。
人類の滅亡後にも《思考力》により、死して尚飛翔(復活)の予感を秘めている。
『青春の泉』、これは未来への挑戦状である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「なるほど、鉄砲を持つてものを食ふといふ法はない。」
「いや、よほど偉いひとが始終来てゐるんだ。」
☆徹(つらぬく)法(神仏の教え)は、字に嘱(ゆだねる)方(手立て)である。
異(違う)詞(ことば)で、修(整えること)に頼る。
もしわたしたちがこの運命を首尾よく切りぬけていたら、それ相応にわたしたちを尊敬してくれたでしょうが、わたしたちが切りぬけることがでkなかったものですから、これまではただかりそめにやっていたことを、こんどは断固としてやりはじめたのです。
☆差し当たり、決定的に終わってしまったのだということは分かっていました。多分、かりそめにやっていたことなどはずっとは続かなかったでしょうし、完全に決別することは必至でした。