続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

道はあるかもしれない。

2017-02-03 07:32:03 | 日常

 瞬きする間もあらばこそ…すでに2月である。
 サークルで描いた一月の課題がまだ手付かずのまま二月に突入。慌てて手を加えようとして、ため息。

 絵の本質がつかめず、ただ描いているだけ。
 今日はサークル日だけれど言い訳も笑止、沈黙あるのみの心境。

 もう長いこと分かっていたことだけど、描くセンスが欠如している。なぜ描こうとするのかがわからない…自分に淋しく問うてみる。空しいまでの惰性の持続、暗闇でただ一人、空っ風に吹かれている状態の滑稽である。

 ただ一つの救いは、現在『紙芝居講座』を受講しているので、絵を描く必要性があることである。《上手でなくても丁寧に、相手に分かりやすい表現をすること》こういう方向なら、今までの作業は無駄にならず、役に立てるかもしれないという淡い希望につながっている。

 自分を卑下せず、出来ることを継続していれば道は開いていくのかもしれない。


マグリット『絶対の声』

2017-02-03 06:58:27 | 美術ノート

 『絶対の声』

 バラ一輪、画面の中で《Une rose dans l'univers/宇宙の中の一輪のバラ》というフレーズのうち、roseの部分がバラの絵(イメージ)になっているということらしい。

 言葉とイメージ・・・言葉にはその言葉の内包する領域があり曖昧不定な部分を残すので、必ずしも決定的ではない。イメージにしても精神の内側にある場合(観念)と、実存するものとでは差異がある。

 現実に描かれた一輪のバラに関していえば、どこから見てもバラであり、バラという言葉を知らなくても共通の認識がある。ある意味それは確かに《絶対》と形容されてもいいかもしれない。

 しかし、パイプを描いて「これはパイプではない」と宣誓した作者の作品であれば、思考は一瞬立ち止まってしまう。相反する主張だからに他ならない。
 二律背反…思考は常に対峙する表裏の並置、巡回の経路を余儀なくされるものかもしれない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2546。

2017-02-03 06:33:04 | カフカ覚書

わたしたちは、どんなつまらぬ策であろうとも、なんらかの解決策が見つかるだろうという希望をもっていましたが、あの子は、こrで万事がけっていされてしまったのだということを知っていました。
わたしたちは、ひそひそと相談ばかりしていましたが、あの子は、ただ沈黙しているだけでした。アマーリアは、あのころもいまも真実に面とむかって立ち、この人生を生き、耐えてきたのです。


☆わたしたちは、誰か、氏族の仲介で、死が決定的になることを知っていました。わたしたちは囁き、ただ沈黙していましたが、彼女は当時も今もこの中で生き、耐えているのです。