確かに寒い。昨夜は少し雨が降ったらしく街路は濡れていた。
このくらいの寒さ、冬なら当然のこと!と笑って言える丈夫な身体の人はいいけど、病気がちな人にとっては辛い寒さかもしれない。
手のひらに舞う雪を見ながら「冬が好き、雪が好き」なんてロマンチックなセリフが似合う甘さはすでに憧憬でしかない。
雪かき、後始末の過酷…転倒の悲劇、想像するだけで悲しいものがある。
うん、でも負けないぞ!
というか、もっと身仕舞いを正して酷寒の景に向き合いたい。
『赤いモデル』
赤といえば「血」もしくは「共産主義」を想起する。(欠損をさす赤字、赤貧などは日本特有か)
モデルとはこの場合、複雑な現象を説明するために用いられる単純化した理論や仮説だと思う。
裸足の上部が編み込みのブーツに変容している。素足で石ころの地面を歩く、すなわち血のにじむような過酷な運動(労働)である。
身体の欠如は、人格・個性の剥奪であり、並べて同じというより、尊厳の否定にもなりかねない暴挙、驚愕の荒涼である。
荒々しい煉瓦の壁の閉塞、寒々とした空虚、数としての労働力。人間の血の通うべき足が物質としての靴に変容する景は、慟哭に値する。
前近代的な行き過ぎた共産主義に対する皮肉であり告発の景である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうつとかすんで無くなつて、風がどうと室の中に入ってきました。
☆万(すべて)の章(文章)を到(ある状態にいたらせる)。
秘(秘密)の謀(図りごと)は封(閉じ込めている)。
質(内容)を註(解き明かすこと)は新しい。
けれども、どんなに話し合ったところで、わたしたちの生活は、引っ越してからも変わりませんでしt。ただ、このころになってようやく貧乏の苦しみまでが身にしみるようになったのです。
☆けれども、死の話し合いもまた、わたしたちの生命は移転してからも変わりがありませんでした。ただ、今頃になって次第に欠乏を感じるようになったのです。