おい きさま
日本の萱の野原をゆくビクトルカランザの配下
帽子が風にとられるぞ
こんどは青い稗を行く貧弱カランザの末輩
きさまの馬はもう汗でぬれてゐる
☆科を翻(ひっくり返し)検(調べる)也
現れる背(裏切り)に、化(教え導く)謀(図りごと)の詞(言葉)がある。
普く照(あまねく光が当たる=平等)を拝(敬い尊敬する)講(話)である。
譚(話)は二役の実(内容)を配(割り当てている)
場(状況/景色)は換(入れ替わる)
建物を描写する場合、地上から、あるいは俯瞰などではないか。それを真正面から建物の中央部分を設計図のように遠近法に拠らず描ている。着地点がなく、全体が見えない。
堅固な建物の中央のアップ、しかも各部屋の窓は並べて閉じられカーテンが引かれている。ここまでアップにしながら内部の様子は暗く閉ざされている。隠蔽・秘密・不穏の空気が漂う描写であり、不自然である。
中央に立つ一本のポール、ここが二階以上の高さであれば三階、四階、五階に届く高さのポール(あるいはそれ以上の高さ)ということになる、驚異のポールはどのように建てられているのか。きわめて異常である。
そしてこの旗に描かれた青空に散在する雲(旗の絵図は『呪い』と同じ)、本来、空は自由の象徴でもあるが…。しかも魚の尾ひれのように直線であるべき所が切れている(欠けている)。劣化のためでなく作意であり、歪んだ政策意図の暗示かもしれない。
異常に高く聳え立つポールは独裁を皮肉っているのだろうか。
『夏』であるのに閉ざされた窓、大衆の真意は隠れて見えない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
(コロナは八十三万二百……)
☆他意の要は啓(人の目を開く)を、詢(問う/はかる)
夜の自由な太陽、番(かわるがわる行う)字の飛躍
彼は、助手であるあいだは、主人の目の動きひとつにも気をくばっていますが、いったんお勤めをやめると、もうなにも恐れません。彼はやってきて、わたしを奪いました。
☆勤めている間は目に動きにも畏敬を感じていましたが、いまはなにも怖れていません。彼はやって来てわたし(平和)を考えました。