一、午前八時五分
農場の耕耘部の農夫室は、雪からの反射で城びかりがいっぱいでした。
☆一、語(言葉)が全て也。弐(二つ)の景(景色)がある。
悩(思い煩う)状(ありさま)の考えを運(めぐらせる)。
部(区分けして)納(受け入れるのは)二つの質(内容)の説(話)である。
犯(法や掟を破った)赦(罪や過ちを許すこと)を吐く。
鍵というものは、閉めると同時に開けるためのものである。
誰が何を開閉するのか・・・野とは何か。
『野』とは人の手の加わっていない未開の地を指す。感覚の未発達(承認されていない)な領域に対する挑戦ではないだろうか。
自分と手前の空間(景色)を遮るもの(遮りつつ透過させる)としてのガラス、有るが無いものとしての媒体。それが崩壊を余儀なくされるとき、そのまま記憶として残存するだろうか(するはずだ)という二重の感覚器官。
記憶(イメージ)はバラバラに解体し、正確につなげることは限りなく不可能である。
自分と対象との間には《未開の鍵》が、妖しく潜んでいるが見えないものであるし、気づくこともないものである。
自問自答した結果、『野の鍵』は、その答えの報告であると甘受したい。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(Miss Robin)働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
☆導くことを納(取り込み)譜(続ける)。
普く詞(言葉)に現れる。
秘(人に見せないように隠す)客(訪ねてくる人/死人)の流(彷徨う)律(決まり)を、他意で吐く。
殊(普通と違っている)考えを、普く自由に邁(進める)他意の要がある。
イェレミーアスのことだが、ぼくは反対の印象を持っている。彼は助手の身分であったあいだ、ずっときみをつけまわしていた。勤めの身であるかぎりはきみを本気でおそうような真似はしなかっただろうとは、ぼくにはおもえないのだ。
☆イェレミーアスに関しては反対の印象を持っている。勤めている限りは信用できないので背後にいた。勤めを継続し引きとめている間は、あなたの深刻な不意打ちを防ぐことができなかったのではないかと思う。