「おれだ。」
かゞんで炉に靴下を乾かしてゐたせいの低い犬の毛皮を着た農夫が、腰をのばして立ちあがりました。
☆路(物事の道筋)の果(結末)を解(悟る)ことである。
換(入れ替える)態(ありさま)は、還(一巡りして元の場所にかえる)。
亡(死ぬこと)の秘に惹かれる。
納(受け入れるの)は、普く要(かなめ)の律である。
『目』
カメラアイ、シャッター…機械的装置。
「目」を見ることは同時に見られることでもある。見るということの不思議、そしてリアル。
現象は五感(六感)を以て受容するが、その多くは視覚に頼っている。
『目』を描いている。描いたものは二義的なものであり、イメージの固定化でもある。
美醜を問う即物的な感覚、真理を問う洞察的な感情、記憶すべきデータの蒐集・・・あらゆる機能の接点としての『目』。
円で囲まれた中での『目』は、《覗く》という状態を示唆するかに見える。鑑賞者はあたかも覗かれているという気分に陥ってしまう。
目だけを対象に描く、この作意は何だろう。目のもつ魔性、あるいはその不確実性を《絶対》として、見られる側が感じてしまう恐怖、驚愕・・・。
隠蔽をも暴く『目』への畏れ。
『目』は単に目でしかない。身体の一部であり、物を見る装置である。しかし、世界とつながる要であり、世界との接点である。
たかが『目』、されど『目』である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
雨をおとすその雲母摺りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦なのだ
(燕麦播くぎすか)
(あんいま向でやつてら)
☆天(あめ/天上の世界)を運(めぐらせている)簿(ノート)である。
照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)
化(教え導くこと)の質(内容)を、自(わたくし)は他意の講(話)で吐く。
趣(考え)は止(一か所で留まること)で演(述べる)莫(なかれ)、演(押し広める)莫(なかれ)。
番(かわるがわる行う)講(話)である。
ぼくに言わせれば、彼の考えかたは、特別に冷徹だね。彼は、ぼくのことである任務をガーラターから受けてきた。どうやらぼくにさほど好都合な任務ではないらしいが、彼は、この任務をやっきになって遂行しようとしている。
☆彼の考えは特に冷静なようにみえる。彼はわたしのことで委任(命令)とも言えないが、ガーラターから受けてきた。これを導き出すのは厳しいが、