『日輪と太市』
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面を
どんどん侵してかけてゐる
吹雪も光だしたので
太市は毛布の赤ズボンをはいた
☆実(まこと)の倫(人の行うべき道)を諦(明らかにする)試み。
実(まこと)の教えは実(まこと)の照(あまねく光が当たる=平等)である。
展(くりひろげて)吟(歌い)番(かわるがわる行うように)運(めぐらせている)。
審(正しいかどうかを明らかにする)を推しはかる説(話)である。
考えを諦(明らかにする)試みである。
妄(道理に暗いこと)を普く釈(意味を明らかにする)。
ここはどこだろう、背景に山々が映らないということは相当に高い地点だと思われるが、緑、樹木が茂っている。しかし、観察者の視点はその樹木の先端にあり、ビルボケ同様樹木に比して巨人である。二体のビルボケより小さいという関係かもしれない。
とすると、父・母・子を疑わせる構図である。
『告知』、子の誕生の図だろうか。
波打つ板状のものは何を示唆しているのだろう、時間あるいは季節の移り変わりなのか…そこに点在する大小の馬の鈴(言葉・伝説・風評など)は、記録だろうか。
その手前には人為的に刻まれた穴が縦横にある平板がある。折り畳んでどこまでも拡散・連鎖していく穴…脈々と受け継がれていくDNAの形象化かもしれない。
つまり二体のビルボケ(擬人)の背負うものは、ルーツであり、記録なのではないか。二体は男女を思わせるが、人類の祖としての君臨とも仮定できる。
《原初/源/始まり》の場であり、《帰還としての死》の場ではないか。幾つもの石の塊はすでに遠い昔の痕跡(死人)かもしれない。
『告知』、生死をつかさどる告知の場、異世界の現出は条件だけを提示している。沈黙の告知は運命とも称されているのではないか。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸いついた
(コロナは七十七万五千……)
☆拗(ねじまげた)講(話)には謀(はかりごと)の他意がある。
要は字の釈(意味を明らかにすること)である、趣(考え)を究めることである。
死地の自由、悉(すべて)は、番(かわるがわる行う)語(言葉)を選ぶ。
ふたりは、ここへ逃げてきました。ここの主人は、彼を高く買っていますし、お客さまにとっても、こういう有能なボーイがいてくれるほどありがたいことはありません。こうして、ここに雇ってもらうことになりました。彼は、わたしの部屋に同居しているのではありません。あれは、ふたりの共同の部屋なのです。
☆わたし達は、ここまで飛散してきました。ここの主人は彼を評価していますし、死者にとっても、テーマである穴(死界の入口)は好ましいものではありません。
彼はわたしの傍にいるわけでなく、わたし達は、先祖の共に共通のテーマを抱いているのです。