続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『耕耘部の時計』⑨

2018-08-24 07:30:33 | 宮沢賢治

機械は八時半から動くからな。今からすぐ行くんだ。」農夫長は隣で脚絆を巻いてゐる顔のまっ赤な農夫を指しました。


☆記を開く也。
 字の判(可否を定めると)導く魂(たましい)の講(話)がある。
 納(とりこむもの)は普く帖(ノート)にあり、倫(人の行うべき道)という規約(約束)である。
 換(入れ替わる)のは、信仰の釈(意味を明らかにすること)であり、納(受け入れるのは)普く詞(言葉)である。


🈞マグリット『透視』③

2018-08-24 07:00:18 | 美術ノート

 卵と鳥に間には熟知されたサイクル(循環)があるが、そこには時間という経過が必然的に存在しなくてはならない。そのサイクルの条理を外す媒体は人の知覚および精神の自由であり、物理的媒体はあり得ない。
 マジック・・・脳裏における錯視は経験によるデータの集積に他ならない。

 つまりイメージの飛躍である。
 わたし達は物理学的条件のなかで生活し、精神性をも併せ持っている。精神は物質界の論理に従うことを鉄則としてるが、本来自由なのではないか。
 世界において知覚し学習した条件の各々が、時空を超えて結びつくという親和性を、常識という観点では否定されるが、解放された精神性の中では肯定を許される。

 時空などの物理的変化(生老病死)の変換や歪曲も、精神界においては自由であるという暗黙の約束を忘れている。この発見はわたし達の眠っている感覚を呼び覚まし、精神の自由を約束するが、そのまま鑑賞することも否定の余地はない。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』87

2018-08-24 06:50:11 | 宮沢賢治

  雨雲に銃を構へて立つてゐる
  あの男がどこか気がへんで

 雨雲はウ・ウンと読んで、迂・運。
 銃はジュウと読んで、自由。
 構えへてはコウと読んで、考。
 立つているはリツと読んで、律。
 男はダンと読んで、談。
 気はキと読んで、記。


☆迂(遠回り)の運(巡らせている)自由な考えを律とした談(話)の記である。


『城』3014。

2018-08-24 06:32:31 | カフカ覚書

それで、こんどは自分の労働の収穫をすることにして、教室の窓からきみを引っぱりだしたってわけだ。しかし、彼の仕事は、これで終わってしまった。仕事にたいする情熱も消えて、疲れが出てきたところだ。


☆それで(名声を)博す効果のある現場不在を罪過の死の入口から引っぱりだしたわけだ。それと共に彼の仕事は終わってしまった。仕事の情熱も消え、疲れが出てきたのだ。