カーバイト倉庫
まちなみのなつかしい灯とおもつて
いそいでわたくしは雪と蛇紋岩との
山峡をでてきましたのに
これはカーバイト倉庫
すきとほつてつめたい電燈です
☆総て己(わたくし)は等(平等)の説を打つ
問うことの眼(かなめ)は、太陽の教えである。
総て己(わたくし)が、兼ねて伝えるのは等(平等)である。
他の動物ならば、迷いはあってもイメージを重複させ、不条理を条理に受容することなどないのではないか。
自分の見たもの(主観)は、厳然と在るものへの客観的な眼差しに等しいと考えがちである。自分の中の真理としての主張、しかし、それは必ずしも客観的な眼差しとは合致しない。
画布によって隠された景色は、本当に窓外の実景と重なるだろうか。
断定・確定・決定…自身の判断であるが、自分の眼差しと実存との隙間(差異)はどのように埋められるかという問題が浮上する。
主観の懐疑に対する肯定が、その差異を解消する。つまり精神の働きである。
空想(イメージ)の飛躍を現実に結びつけるのは人間の持つ特有な脳の作用によるものである。
ゆえにこの作品における『人間の条件』とは、主観は客観に等しいという主張に隠れた懐疑・問いである。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(そのうすあかい毛もちゞれれてゐるし
どこかのがまの生えた沼地を
ネー将軍麾下の騎兵の馬が
泥に一尺ぐらゐ踏みこんですぱすぱ渉つて進軍もした)
☆亡(死んだ人)の傷の償いを、自(わたくし)は章(文章)の群れで記(書きしるす)。
化(教え導)記は蔽(見えないようにしている)
場の泥(こだわり)は、逸(隠れた)釈(意味を解き明かす)にある。
禱(祈り)の章(文章)は真(まこと)の群(集合)である。
たぶん肯定にいたときに風邪をひいたんだろう。病気だということを考えると、きみは、彼をもうあんまり長いあいだほったらかしにしているぜ。ぼくは、ひとりで学校へ帰るさ。
☆空想(妄想)のように思える罪過を告げに行くんだろう。それを考えると、平静に死を受け入れていたんだ。すべては罪過から来ている。