「何か用かい。」
「私は、いま事務所から、こちらで働けと云はれてやって参りました。」
☆化(教え導くこと)が要である。
詞(言葉)は根(物事のもと)であり、字は謀(図りごと/計画)の緒(いとぐち)である。
道(神仏の教え)を運(巡らせるのは)太陽である。
『凌辱』
女性としては正視が辛い絵である。
何故か、裸婦という自然体を歪めてみせているからで、美しさは消え、侮蔑感が残る。
部位の一つ一つに問題があるわけではない、むしろ衰えもなく若い肉体の各位である。
ふさふさの髪、少女のような乳房、肌もなめらかであるにもかかわらず、醜悪に変貌しているのは、各部位が当然あるべき位置にないことに因している。
乳頭が目、臍が鼻、陰部が口を想起させる位置に置換されているという奇妙さは到底肯けないものである。
通念の破壊…あるべき姿の固定観念の変態…最も近しい《絶対》と思う形態の歪み。
「これは違う!」と思うのは、ある種の差別であるが、有り得ないほどの差異は怪奇である。
しかし、人間が考えられる範疇の差異である『凌辱』という作品を目の当たりにして、肯き難さを覚えるのは《絶対という観念》を破壊し、《貞節/良心》に烈しく揺さぶりを掛けているからである。
常識という精神に問いかけている。
イメージ(空想)はあくまで自由であるが、尊厳を冒す自由は許されうるだろうか。イメージに範疇という限界線を敷くことができるのだろうか。マグリットの煩悶である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじように恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐肥車と
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛の労働なのか
☆野(未開)の講(話)である。
意(思い)は教(神仏の教え)を究めることであり、秘(人に見られないように隠した)赦(罪や過ちを許す)償(つぐない)を蘇(よみがえらせること)を運(めぐらせている)。
総て掩(隠したもの)が露(現れ)、導くものである。
勤めにたいするある種の情熱をかたむけて、と言ってもよい。この土地では、こういう情熱なら、さして珍しくもないからね。で、それを遂行するためには、ぼくたちの関係をぶちこわすことが必要なのだ。
☆勤めは情熱的だと知っているので、わたしはそれを認めたいと思っている。ここでは珍しいことではないが、状況を確認することが必要である。