手書きの文字を知らないが、印字では口と▢は紛らわしい。作品を見て題字を見るから口に見えるが▢なのだろうか。
10×口は暗示的である。膨大に増えていく数、増殖のイメージがある。個を提示して複数(全体)を喚起している表題である。
1の倍数はどこまでも1だが、10の倍数は無限である。0もしくは負数では存在を失うが、その可能性を潜ませた式なのだろうか。
表題の『10×口』は《個と世界》でもあるし、《生と死》にもつながってくる。
作品の大きさが分からないので拡大されたものなのかが判別できないが、少なくとも部分に焦点を当てていることは確かに違いない。口から出入りする息(空気の揺れ/振動)は、波ではなく螺旋を描いているが声のような強い音波ではないということだろうか。
内と外、生命体と空気。空気があって生命体の存在が維持されている密な関係は不可視ゆえに見過ごしがちである。
見えないものを見る、若林奮の凝視の眼差しである。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明るく射していたが、今宵は客も余りないと見えて内もひっそりとして、おりおりの雁頸の太そうな煙管で火鉢の縁を敲く音がするばかりである。
☆慮(あれこれ思いめぐらす)図りごとは宿(かねてからの)基(根本)也。
転(ひっくりかえる)章(文章)は、詞(言葉)で問う。
化(教え導きで)冥(死後の世界)の赦(罪や過ちを許し)魂の傷(悲しみ)を却(取り除く)。
予め兼ねた題(中心思想/テーマ)を含ませている。
啓(人の目を開く)他意を縁(つなげている)。
換(入れ替えると)発(外に現れる)縁(つながり)の講(話)が隠れている。
すると、周囲のドアも、静かになるのであった。たえざる魅惑の的であったものがついに片づけられることにがっかりしたのであろう。それとも、満足したのかもしれない。しかし、ドアは、やがてまた徐々に活動をはじめた。
☆すると、その辺りの計画も収まり、それに関して失望すると同時に満足もしていた。
このものは絶え間なく刺激するので除去してしまったが、それによって改めて気持ちが荒立つのだった。