見つからない、落ち着いて端から丁寧に見落としのないように探す。
あるはずの物がない。
あちらもこちらも点検。
(ああ、若い頃は一年に二度も家じゅうを清掃点検していたのに)今では・・・いつ片付けたのか記憶にないほどの《ざっくり》
(だらしないわたしがいけないのだ)
(ここでストップ、残念だけど)と思い、扉をあけたら一目瞭然の目の位置、手の届く場所に鎮座しておりました。
こんな風です、わたしの日常は。
1-3-2『日の出、日没Ⅳ』
空に向かう樹木と地の盛り上がりである山々、大地・・・川もしくは海岸線(海)もあり、地下水脈のような景も含んでいる。
要するに自然の景色の抽象化である。
日の出、日没・・・同時に起きる現象ではないから《景の見える時間帯》を凝縮したというメッセージだろうか。
見えることによってのみ存在するかの景色。
厳然と在るものが漆黒の闇の中では失われてしまう。見えている(視覚)によって存在(景色)は明らかになる。
質感質量は触覚に頼らねば見えてこないが、全体は常に風による響き(振動)が教えてくれる。この空気感は視覚によってしばしば奪われ、その感触は微風においては伝わらない。
日の出、日没の風の方向、差異は景色の変貌と共に形を超えた空気感を明確にする。確かに形態(風景)を被う振動は風景そのものを静観させる。
客観ではなく主観的見地の感触・感慨である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
「旦那、東京から八王子なら道が変でございますねェ」
主人は不審そうに客の様子を今さらのように睇めて、何か言いたげな口つきをした。客は直ぐ気が付いた。
☆談(話)に納めたのは、逃(逃れた)刑(罪をただして罰する)の罰(悪行をなした人間に対する神仏のこらしめ)の往(その後)の姿を問う編(文章)の悟りの座である。
趣(ねらい)の図りごとは普く新しい。
書く様(ありさま)は、死んだ魂の講(話)である。
諦(明らかにする/真理)を化(教え導くこと)が現れる講(話)である。
各自記は鬼(死者)の風(様子)である。
これからが、ほんとうに厄介なことになるのである。自分には書類をもらう権利があるとおもった役人は、短気を起してぷりぷりし、部屋のなかで大きな物音を立て、手をたたいたり、足を踏み鳴らしては、
☆これから最初の本当の困難が始まることになるのです。書類を要求できたと考えた人は耐えられず、権力でテーマに大きな警報を鳴らし、根源を無雑作に押しつぶした。