続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮1-1-4『無題』

2019-10-07 06:54:27 | 美術ノート

   1-1-4『無題』

 仰向けになり膝を立てた裸の少女、膝の上には巨大化した蝉が乗っており、両者の口から出る空気(振動)はつながっている。共鳴しているというべきか。
 それとなく少女の手がそれを拒否しているようにも見えるし、優しく手を差し伸べているようにも見える。

 暴力的な空気感はなく、ごく自然に和んでいる風である。エロスだろうか・・・あり得ないような不自然極まる景は、あまりにも自然体である。
 一寸の虫にも五分の魂という、地上の生物の呼吸(CO₂あるいはO₂)の排出、その循環が地上の生息を促している。

 ささやかな一生命体の呼吸(振動)は他のあらゆる生命体との呼吸と共鳴し、地上を揺らしているが、静かすぎるほどの共鳴である。生命の華やぎは空中に深遠静謐に漂いその息遣いはどこかですべて共鳴し合っているに違いない。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』8.

2019-10-07 06:36:12 | 国木田独歩

「六番でお手が鳴るよ」
 哮える様な声で主人は叫んだ。
「何方さまで御座います」
 主人は火鉢に寄かかったままで問うた。


☆録(書き記すこと)に伴う趣(ねらい)は冥(死者の世界)である。
 講(話)の要の償(つぐない)は趣(ねらい)の図りごとである教(神仏のおしえ)である。
 化(教え導く)法(神仏の教え)を悟る座(人が集まる場所)である。
 趣(ねらい)の図りごとの化(教え導くこと)は、初の記の問いである。


『城』3277。

2019-10-07 06:28:28 | カフカ覚書

表がかならずしも合っていないか、従僕たちがときに書類をうまく見わけられないか、あるいは、役人たちがほかの理由から文句をつけるのだった。


☆名簿が合っているか合っていないか、あるいは従僕たち(死人)は常に判別できず、多くの人たちは他の見識に基づいて抗議を起すのだった。