続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮 1-3-3『日の出、日没(4線)〔2nd stsge〕』

2019-10-11 06:51:48 | 美術ノート

   1-3-3『日の出、日没(4線)〔2nd stage〕』

〔2nd stage〕って何だろう、現実ではなく幻視ということだろうか。感覚ではなく時間を超えたものへの凝視。仮にそうならば形は不変性を持つが、曖昧なものになるのではないだろうか。
 しかし厳然と角があり溝がある。長いものは時間だろうか、刻みもある。

(4線)って何だろう。日の出から日没までの時空を分けるもの。
 日の光や雲の遮蔽、雨や風、風景にはあらゆる現象が生まれては消えて行く。大きくとらえて循環と括ってもいいかもしれない。
 時空を4つに分けるものは《春夏秋冬》の変化だろうか。

 作家自身の立ち位置はどこだろう、前後か俯瞰、見降ろしているのかもしれない。

 地平には起伏がある。突きさすようなものは森や林だろうか。
 刻みは《連鎖》である。時間もしくは生命連鎖の普遍性。

 4という数字にこだわれば春夏秋冬の景に行き着くが、単純に四分割の景とも言い切れない。

『日の出、日没』すなわち《夜》は含まれない。存在するものが見える、視覚を根拠にできる時間帯である。
 端の4つに分かれた線条は春夏秋冬の日照時間だろうか。並べて等しい時間と空間の連鎖、風景の恒常と変移、地上を俯瞰したスケッチである。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』12.

2019-10-11 06:30:18 | 国木田独歩

「いや僕は東京だが、教東京から来たのじゃァない、今日は晩くなって川崎を出発てきたからこんなに暮れて了ったのさ、一寸と湯をおくれ」


☆僕(わたくし)の祷(祈り)の胸(心の中)は魂を化(教え導くこと)である。
 祷(祈り)の胸(心の中)の記は教(神仏のおしえ)を化(教え導くこと)である。
 番(組み合わせて)詮(明らかにする)記を推しはかる。
 發(調整する)記の簿(ノート)は霊(死者の魂)が逸(隠れている)。
 寸(ごくわずか)に透(すけて見える)。


『城』3281。

2019-10-11 06:20:20 | カフカ覚書

ドアの隙間から何度も一定の書類番号を廊下にむかってがなりたてる。こうなると、車のほうは、しばしばほったらしになる。


☆常にほかの決めた記録を繰り返し、他のやり方を亀裂を通して叫んでいた。そしてしばしばすべてを見捨て、小さな秤(正義の天秤)に留めていた。