続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮1-1-10『泳ぐ犬』②

2019-10-09 06:50:52 | 美術ノート

 悲壮感がある、決して楽しく愉快な景ではない。静謐であり喜怒哀楽の感情を表に出していない。
 耳は大きく立ちあがっている。情報(空気の振動/音や風)を緊張をもって収集する耳の態である。

 泳ぐ、すなわち地上の自由さはなく、地上へ向かうことのみに集中する行動のさ中である。
 浮いているのでなく、泳いで目的に向かっている態には、水の抵抗がある。水を振動させ前に進む犬に課せられた重圧を排除する行為(泳ぐ)を重ね繰り返していく。

 束縛であり、闘いである。
 時間は止まったままであるが、目的(対岸)への距離(空間)に要する時間が潜んでいる。いわば時間と空間を『泳ぐ犬』に被せた凝縮の形である。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れ得ぬ人々』10.

2019-10-09 06:30:55 | 国木田独歩

「僕か、ぼくは東京」
「それで何方へお越しで御座いますナ」
「八王子へ行くのだ」
 と答えて客は其処に腰を掛け脚絆の緒を解きにかかった。


☆目(ねらい)は僕(わたくし)の祷(祈り)の胸(心の中)にある。
 化(教え導く)法(神仏の教え)は悦(喜び)であり、悟りの座である。
 罰(悪行をなした人間に対する神仏の懲らしめ)の往(その後)の姿の講(話)である。
 統一(一筋にまとめる)規約の記は緒(もろもろ)の様(ありさま)を開く。
 悟りを判(定めること)の緒(つながり)が、皆(すべて)である。


『城』3279。

2019-10-09 06:22:04 | カフカ覚書

この交渉そのものが、きわめて厄介なことであったのだが、さっきまでいちばん活発に開閉されていたドアにかぎって、書類を返却しなければならないとなると、そんなことはもういっさいあずかり知らないと言わんばかりで、いくら頼んでもあけてくれないことが多かった。


☆この審理は大変困難なものだった。しかし、しばしば十分にさっきまで元気に活動していた計画に限って返さねばならず、今では封鎖し、そのままであり、願いは受け入れられなかった。本題(核心)をさらに望んでも理解されなかった。