全てが機械化されフル稼働している現在では、二八(ニッパチ)という言葉は死語かもしれない。
内職をしていた頃、二月と八月の仕事のない時期を楽しみにしていた。なぜ、二月と八月なのかは判然としなかったけれど、その頃になると夜を徹していた仕事も確かに激減し、空白の日々が続いた。収入がなくなる不安よりも、時間が出来る嬉しさが先行し、机の脇に積んだ布地をしっかり両手に掴み、何を作るかを夢想することの至福はわたしを酔わせた。
何の技術も無いのに、生地を5mとか10mという風に大雑把に購入するので、結局簡単なエプロンを10枚も作るという単純作業になり(笑止)バカバカしいほどの汗を流していた。よって、その頃作ったエプロンを未だにしているという具合。
暇な時には、カフカや賢治の作品をテープに吹き込み、仕事中あるいは就寝時に流したりもしたけれど、夫が耳障りだというので止めてしまった。自分に関心のない音はただうるさいだけかもしれない。
それでも、八月は仕事の手を休める嬉しい期間だったから、夏の暑さなんて少しも気にならなかったと記憶している。これらは、三十代四十代の頃の話である。
五十代以降は無職に甘んじ、ずっと日曜日状態。人より速い劣化もこうした怠慢な生活から来ているのだろうか。自分らしい生き方の模索も、繰り返される日常茶飯事に飲み込まれ沈下している。
《頑張れ、頑張れ、がんばれ自分》
遠く弱い響きが聞えないでもない。
わたしは自分に負けているのだろうか。身体の劣化に意欲まで比例している・・・。
八月の嬉々とした気持ちが懐かしい(老境)。
八月を心弾む時間に染め抜くことが出来たら・・・。負けが混んだわたしの人生に光あれと夢想してみる。