彼は語らない。確かに彼は口をつぐみ、目も閉じている。しかも肉感を持たない石膏(無機質)のように見える。
背後は明らかに肉感をもった人間である。目を開き凝視している、頬や唇の赤さから女性に見えるが、彼(男?)の唇もまた赤いことから、特定はできず、男女を共有している(人)という見解に落ち着く。首が見えることから顔面のみではないと推測される。
この両者の間にある円盤状のものは何だろう。
軸が中心にないということは回転しないということであり、これを地球(大地)と見れば、地球は回っていないという見地に等しい。(「それでも地球は回っている」)
時間というか暦は一般的に太陽暦(ユリウス暦~グレゴリオ暦)である。その基盤である「光ありき」と言った神と同次元であるのは肯ける。
背後に板状の面があるが、マグリットの中では現世と冥界(死後)の変移のプロセスと解釈して差し支えないのではないか。
空白の面は、虚無あるいは混沌(矛盾)の深淵。
しかし、「彼は語らない」、語っているわけではない。真実、信仰の要は捉えようとしても捉えきれない中空に位置している。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(ウーイ 神はほめられよ
みちからのたたふふべきかな
ウーイ いゝ空気だ)
そらの澄明 すべてのごみはみな洗われて
ひかりはすこしもとまらない
だからあんなにまつくらだ
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
ことにもしろいマヂエラン星雲
☆真(まこと)の句(言葉)を記している帖(書付)である。
冥(死後の世界)に潜む他意の曜(太陽・月・星)を崇め、現れる照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)。
わたしは、たんにお役所の仕事のために答えるのではありませんからな。あのときも、いまもそうです」
「いったい、わたしたちにだれのことを考えよとおっしゃるのですか。ここにはほかにまだだれかいますかね。さあ、おはいりなさい!」
☆わたしは単に職務のために答えているのではありません。当時も今もそうです。と、モームスは言った。誰がわたしたちのことを考えているのか、他に誰がまだここにいるのですか。さあ、行きなさい!」
型掘りの作業に刃は欠かせない。
砥ぎを見れば、職人の腕のレベルは一目瞭然…まるっきりダメだったわたし。外注時代は何とか凌いだけれど、いまだに砥げない。
死ぬかと思うほど忙しかった毎日、納期に追われ、介護に追われ・・・。
『彼は語らない』
白いデスマスクには唇だけが赤く彩色されており、背後の彩色された顔は男女の確定が曖昧である。両者は円いカーブのある厚い板状のもので仕切られている。
白いマスクは、その板状のものに影を落としているが、正確に打たれた点描のある壁にはそれ(影)がないことから、同じ平面状(付着)しているものと思うが、丸いカーブのある板状のものは、点描の壁よりずっと手前にあるとも考えられる。
彩色のある顔は白いマスクや円い板状のものより背後にあることは確かだが、点描のある壁面と同次元にも見える。背後の板状の面や白(空白)の面は、彩色の顔の後ろとお前にあるとも考えられる。
つまり位置関係は微妙に動く仕掛けである。
点描(時間)は共通の領域を占めているが白いマスクより前に出ることはないのではないか。
カーブのある面にパイプが刺さっているが、この点を軸に回転はできない。このカーブのある面に影があるということは《光》があるということである。
はじめに神は天と地とを創造された(略)神は「光あれ」と言われた(『創世記』第一章より)
円形のものは地であり、背後の空白は天ではないか。
『彼は語らない』、語ることのない神の創造における構造の図解であるように思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
それと赤鼻紳士の金鎖
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
ほんたうに液体のやうな空気だ
☆釈(意味を解き明かす)、美しい真(まこと)の詞(言葉)は金(尊い)。
査(調べること)、昵(慣れ親しむこと)、空(根拠のない)記は易(取り替える)という他意がある。
空(根拠のない)記である。
そう話しかけられたので、Kが立ちどまろうとすると、「いやおはいりなさい、おはいりなさい。あのときはお返事が必要だったが、いまは要りませんから」
それにもかかわらず、モームスの言いぐさを腹にすえかねたKは「あんたたちは、自分のことばかり考えている。
☆そう話しかけられたので、Kはあちら(現世)でとどまろうとした。
「おはいりなさい!当時は返事が必要だったが、今は要りませんから」と、モームスは言った。
それにもかかわらずモームスの振る舞いに刺激されたKは「あなたたちは単にあなたたちのことを考えている、
概念の転回、崩壊と言った方がいいかもしれない。
物に付着するイメージを破壊し、重力という大前提からの解放を強行している。
静かなる暴力は鑑賞者を惑わせる。蓄積された観念の術を持ってしか対象を見ることができないからで、ひどいストレスを感じざるを得ない。
これを空想と言ったが、まぎれもない現実かもしれない。わたしたちの持つ情報量を正しいと思い込みすぎているキライを払拭し、精神の深淵を垣間見せる英断…錯覚ではなく価値観の解放である。
もちろん主題はマグリット固有の精神世界であって、万人共通の景色ではない。
重力・遠近・質量の否定・・・一般的に言う《自然の摂理》を外すことにより、もう一つの世界(異世界/冥府)を独断の手法で開示している。
実際にこの絵を再現することは物理的に不可能である。隔絶された冥界は、美しいというよりも不自由でもの悲しく、切ないまでの哀愁が漂っている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
保安掛り じつにかあいさうです
カムチヤツカのカニの缶詰と
陸稲の種子がひとふくろ
ぬれた大きな靴が片つ方
☆廃(すたれる→死)を納(うけいれる)は、新しい
補(助ける)案(考え)を化(教え導くこと)を敢(あえてし)吃(身に受けること)を録(文字に書き記す)
等(平等)の趣(考え)の詞(言葉)が題(テーマ)である。
禍(不幸・災難)を変える法(神仏の教え)である。