ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

講演会での虹彩分析

2010-06-07 12:31:08 | 診断即治療と虹彩学
昨日の講演会で、虹彩分析をしてもらった方ですが、虹彩に化学物質沈着が観られたので、「新薬をかなり使った方だと思います。ご本人に何か病状があるかどうかはわかりませんが、この薬物沈着をクレンジングすることから始めなければ病状を回復させることは難しい」と話ましたら、スタッフの三嶋さんが気を利かし、ご本人に質問をしてくれていた。
(特に指示してなかったので、機転の利くスタッフには心から感謝した)

回答は、
「薬は少し使ったことはあるが、大量に使ったことはない」とのことだった。

そこで、
「薬を使ったことを忘れている方は大勢いて、こんな方がいました。~(中略)~。この虹彩からして、多分忘れていると思います」と話しておいた。

講演が済んでから、スタッフのところにやって来て、
「昔、何度も筋肉注射をしたことがあるのを思い出しました」と話していたらしい。
そしてきょう、
「虹彩分析に感銘を受けた」と予約を入れてきた。

私も、そのほうがいいと思った。
患者さん集めの講演ではないし、もともとそういう講演はしないようにしている。
しかし、化学薬品の沈着は、虹彩学を知らなければ医師でも鍼灸師でも見つけることができないし、発病したときには難治性の病気になるので、早期に治療をしたほうがいいからです。

何人もの化学物質沈着が原因の方を診てきましたが、化学物質沈着を探ることができない故に、更に科学物質を入れられ「薬漬け」にされる場合がある。
一般的には「誤診」ではないかも知れないが、私たちは「誤診」として扱う。

原因のない病気はないはずだが、「化学物質沈着」は原因不明に分類されている。

そんなことを考えると、もっと広く虹彩学を広めなければと考えるのだが、時々、欧米の虹彩学で虹彩分析を受けて自分の主訴と合わなかったり、「デジカメで虹彩撮影をして、それを分析する」なんてのがあり、虹彩学が眉唾モノと思われる場合があるので、もう少し地道な活動が必要かなと考えることも少なくない。

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目による診断 (イリドロジー&スクレオロジーの講演)

2010-06-07 10:32:24 | 診断即治療と虹彩学
アロマラボ株式会社/山本淑子アロマセラピストスクール主催で、≪第14回香りのセミナー≫が昨日開催され、虹彩分析とスクレラ分析の話をさせてもらった。

楽しかったー。

事前の打ち合わせで、講演は2時間とされていたので、関西医療大学の中吉先生にもお願いして、デジカメでの虹彩撮影を実演してもらうことにした。
私が1時間ちょっとで、その次に中吉先生にお話と実演をしてもらうことにしていた。

パワーポイントに40枚ほど写真を準備してあったので、「ちょっと詰め過ぎたかな」と思いながらも、「ま、何とかなるでしょう」と話を始めたら、あっという間に時間が経過。
そして中吉先生にタッチ。

で、中吉先生の時間もそろそろ終わりの頃、中吉先生から「40分までいいそうですよ」と言われ、「えっ?・・・嘘!」、残り時間がだいぶあるので慌てた。
私の知らない間に時間変更があったらしい。(^○^)

さてどうする。ヽ(__ __ヽ)

しかし、それが幸いした。


聴講者の方々から希望者があれば、その場で虹彩写真を撮らせてもらい、その場で虹彩写真の解説をすることになったが、積極的な人が多く、次々と手を挙げて写真を撮らせてくれた。

一人の解説をしている間に次の方の写真を撮り、次の方の解説をしている間に次の方の写真を撮らせてもらうという段取りで講演は進んだ。

今までいろんなところで虹彩の講演をさせてもらったのですが、実を言うとその場で写真を撮って、その場で解説するというのはこれが始めてだった。

その理由は二つある。

①カメラの問題で、会場で撮影した画面を即スクリーンに映すことができなかった。
 普段はスリットランプを使っているので、会場に運ぶのは難しい。

②仮に撮影ができても多分、写真の主が公開を拒むことになっていた。
 鍼灸師を対象にすることが多かったので、鍼灸師は引っ込み思案が多く、自分の虹彩が写し出され、性格まで分析されるとなると、手を挙げる人がいない。
 (マイナスの性格が分析されても言うことはないのですが・・・)

このようなことからして、昨日の感想を述べるとすると、
「聴講者の方々は健康的な人が多かった」と言える。

健康に自信のない人だと、大勢の前で自分を曝け出すのを嫌がるからだ。

笑い話になるのですが、鍼灸師の集まりではこのようなことは難しいと思う。
鍼灸師の集まりでは体調の悪い人が多いからだ。(^_^;)

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ドクダミ(スケッチ&コメント)

2010-06-07 07:03:09 | スケッチ


ドクダミ

江嵜企画代表・Ken



 先日、博多に所用があり出かけた。着いた日の夕食の席で、たまたま筆者の「スケッチ&コメント」の愛読者というご婦人が同席しておられ、是非ドクダミを描いて欲しいとリクエストを受けた。なんでもそうだが、どんな些細なことでも反響があると嬉しいものである。二つ返事でOKを出し、本日のスケッチと相なった次第である。

 会食の席上、ドクダミを乾燥してお風呂に入れて愛用しているという別のご婦人の話や、利尿剤としても効用があるなどドクダミ談義に花が咲いた。子供の頃、祖母はドクダミのことを重草(じゅうそう)と呼んでいた。オデキの「吸い出し」に使うと良い、と話していたことを今もよく覚えている。正式には重薬とか十薬と呼ぶとインターネットで知った。

 ドクダミは独特の臭いがする。その臭いこそ薬草たるゆえんである。入浴剤として利用すれば体がぽかぽかする。あせもや湿疹予防,血行促進により肩コリ、腰痛、疲労回復に非常に効果がある。また、ドクダミはいろいろな生薬と組み合わせると効果がある。ハト麦と一緒に煎じて飲むと利尿作用が期待できるなどと、「やなぎ堂薬局」のHPに詳しく出ていた。

 ドクダミを生まれて初めてスケッチした。ドクダミにスケッチの感想を聞いてみたい。(了)

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長峯やす子:読売こころ塾(スケッチ&コメント)

2010-06-07 07:00:35 | スケッチ


長峯やす子:読売こころ塾

江嵜企画代表・Ken



 舞踏家、長峯やす子さん(74)をゲストに迎え、「読売こころ塾」(会場:大槻能楽堂)が開かれ、楽しみにして出かけた。司会の音田昌子さんからの芸歴紹介のあと、いきなり演歌「飢餓海峡」のメロディーが流れ、長峯さんの踊りが能舞台正面で始まった。全身バネの塊のような激しいライブショーである。あとのトークで出たが、「体が柔らかいのは天性のもの。最高の筋肉を親からもらった」と言われた。「若さの秘訣は?」と聞かれた時、「年齢を考えない。自分をきれいだと思う。美しいと思えば、背筋も伸びてきます。旦那さんも、奥様にきれいだね、と言ってあげてください。」と話された。

 音田さんの「能舞台での踊りは、はじめてですか」の問いに、長峯さんは、「はじめてです。今日のお客様が優しそうなので、気持ちよく踊れました」とにこにこしながら話された。紫をベースにした生地、肩に刷毛ではいたような形の山吹色、胸元から下に向けて、縦に細く緑、エンジ、朱が重なるように続き、袖口と足元からは真っ赤な色がのぞく着物姿。時に床にかぶさる。身をくねらせる。左右に飛ぶ。そっくりかえる。「遊女、長峯、突如、大阪、能舞台に現れる!!」衝撃の一瞬だった。

 長峯さんは、3歳で踊りを始めた。「健康のためということでしたが、私、天性の踊り子だったんですよ。」とご自分でおっしやる。万事、こんな調子である。話のテンポが早い。お相手の山折哲雄さんが、「もう少しゆっくりお話ししてくださいよ」と口をはさむ場面もあった。回りくどい表現は一切ない。やり取りを聞いていて、とにかく楽しい。

 フラメンコを始めたのが17歳。5歳の時、真っ赤なドレスに出会い、赤に憧れた。「子供の時から火のように燃えたいと思っていた。」「男を燃やしたかった。」とも話された。ほとばしる情熱で、74年間の人生を、今もなお、現役で、奔放に走り続けておられるようだ。24歳の時、スペインに渡る決心をしたのは、それまで付いていた先生が「自分の考えていたフラメンコでない」と感じたからだ、という。自分で感じたこと、自分の考えを信じて行動する。そこに長峯やす子さんの原点を見つけた。

 生のお経をバックにカーネギーホールで踊った時の話である。壇家に怒られますといって、なかなかお坊さんがうんといってくれない。1年前から会場の予約から手配は全て自分で済ませた。公演1ケ月前に、弘法大師さんが現れて、「行け」と言ってくださった。「お坊さんのお経を是非とも二ュ―ヨークのひとに聞かせたい。それ一心だった。それが通じた。だからうまくいったんです」と話された。

 15年前、阪神・淡路大震災が起こった時の話もあった。「四条河原町の鴨川の河川敷で踊った。歌舞伎の元祖,出雲阿国(いずも・あくに)が踊った同じ場所である。踊り終わった長峯さんが、ざるを回した。万札がつぎつぎ放り込まれた。長峯さんはそれを全額被災者に寄付された。」と山折さんがエピソードを披露された。   

 猫を160匹飼っておられる話しも出た。犬も多数飼っておられる。猫ちやんやワンちゃんがいるから、私は生きられるんだとまで言われた。これを書いていると紙がいくらあっても収まらないので割愛する。

 「今日一日、明日一日、大事に生きてください。自分を素晴らしいと思って生きてください。最近は全部、許せるようになりました。自分が心豊かになると周りの人も豊かになります。傍のひとを大事にしてあげてください。大事にして悪いことは起こりません。」と話を終えられた。

 会場の様子をいつものようにスケッチした。この日会場を訪れた450人の一人一人が長峯さんの生き様に堪能したに違いない。東京では年3回は長峯さんの踊りが見られるそうだ。是非、関西でも見たいと会場からもリクエストが出ていた。

 長峯やす子さんは多くの本を出しておられる。絵も見事である。絵は子供のときから好きだったそうだ。出口で「消えなかったシャボン玉」(2009年12月)、「いつもゼロからの旅立ち」(2006年12月)2冊を買ってサインをしてもらった。改めて生きる勇気をいただいて家路についた。

 実はこの日、参加申し込みの機会を逃していた。お願いしたところ、気持ちよく招待券を手配下さった司会の音田昌子さんに感謝申し上げる次第である。(了)

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