♪日本の歌の流れ♪at神戸酒心館ホール
江嵜企画代表・Ken
“日本の歌の流れ”と題して、3月5日(土)午後4時から、第94回「酒蔵文化道場」が、神戸酒心館ホールで、テノール歌手、西垣俊郎、ソプラノ歌手、西垣千賀子、ピアノ、林朋美を招いてのリサイタルが開かれ、演奏後用意された懇親会までの2時間を堪能した。会場の様子をいつものようにスケッチした。
明治から昭和にかけて全18曲、ソロありデュエットありの歌も見事だったが、その時々の時代背景に触れながら、作曲者、歌手それぞれの人となり、エピソードなどを織り交ぜてのユーモアたっぷりの語りは、演奏会の雰囲気をいやがうえにも盛り上げてくれた。
演奏は明治の歌「七里ケ浜の哀歌」テノールから始まった。「埴生の宿」ソプラノが続いた。大正に入り「からたちの花」「鐘が鳴ります」と続く。昭和は「新妻鏡」に始まり、『神戸酒心館、安福会長に捧げます』と前置きして「酒は涙か溜息か」、「悲しい酒」を絶唱した。
「酒は涙か溜息か」は昭和4年≪1929≫の歌である。作曲家、古賀政男は当時、自殺まで考えるまでのどん底状態だった。歌は大ヒット。何百枚のレコードが売れた。歌手は、藤山一郎。当時、東京芸大の学生だった。身元をあかしたくないと、抑揚をなくし、つぶやくように歌った。それが当たったのですと西垣さんがエピソードを紹介した。「悲しい酒」は美空ひばりが歌い大ヒットした。昭和41年(1966)の歌である。古賀政男が残した最後の作曲となる。
「誰か故郷を想わざる」は、中国戦線の戦局ただならずの様相を呈してきていた昭和15年(1940)大流行した。そもそもは、歌手、渡辺はま子さんが戦地慰問で歌った。兵士たちは号泣したと伝えられる。「りんどう峠」、「湯の街エレジー」と歌は続いた。
「名月赤城山」のあと「長崎の鐘」〈昭和24年〉。「長崎の鐘」では、現在、養護老人ホームで,痴ほうが進んだ94歳の母親が、若いときから好きな歌で、原爆に遭われた永井博士は気の毒だと何度も口にしていた。誰が訪ねてきているかもわからない母が、今も「長崎の鐘」をきくと、わっと涙があふれのですと、涙ぐみながら西垣俊郎さんは話された。
歌は「ニコライの鐘」、「からたち日記」と続き、「シクラメンのかほり」、「また君に恋してる」の歌のあと、「高原列車は行く」、「憧れのハワイ航路」、「東京ラプソディー」3曲、それぞれ2番までを、大きな声をあげて歌い、会場が一つになって、お開きとなった。
「酒蔵文化道場」は94回目になるが。いままで演奏会はなかった。もともとは「酒蔵文化道場」で、テノール歌手、西垣俊郎さん、おひとりでの講演を聞く予定だった。打ち合わせの過程で「せっかく出かけるのならぜひ歌いたい。」と急きょ変更された。
それならということになり、奥方の歌も聞いてもらいたい。ついては、日曜日演奏を控えていたが、ピアニスト、林朋美さんにも声をかけ、飛び入り出演が決まったそうだ。
実は、演奏会前日、外出先で、安福会長から当の演奏会のご案内いただき参加することが出来た。素晴らしい機会をいただき安福会長にひたすら感謝である。(了)