本郷豊氏,元JICA国際協力客員大いに語る
江嵜企画代表・Ken
「ブラジルが世界の食料危機を救う。」「日系パワーの貢献」と題して、8月8日(水)午後2時から元JICA国際協力機構客員専門員、本郷豊氏の講演が「海外移住と文化の交流センター」で開かれ楽しみに出かけた。上記センター1階で6月16日(土)~8月26日(日)開催の特別展も見ることが出来幸いだった。
会場の様子をいつものようにスケッチした。この日の会場には、日伯協会の役員、法人、個人会員ほか自治体関係者、教育関係者も多数詰めかけておられたと事務局の方から聞いた。40年近く、不毛の地「セラード」を巨大な穀倉地帯に変えた大事業に関わった豊富な経験の持ち主の講師、本郷氏と参加者との活発な質疑応答が行われた。一人一人丁寧に答えられる講師の姿に接し、強く印象に残った。
質疑応答ではある教育関係者から開発と先住民との関係について質問があり「初めてセラード開発に関与した時点から先住民との関りは重要だと認識していた。いろいろな解決策があろうが、原住民との交接を通じての融和政策は選択肢として欠かせない」と本郷氏は答えた。
開発と環境問題との関係についても質問があり「穀物生産の拡大は動物の餌の供給元として畜産振興と一体化が考えられる。その際、家畜の糞尿のバイオガス利用はバイオガス発電との関係から欠かせない」と本郷氏は答えた。本郷氏は「熱帯圏サバンナ「セラード」の開発の成果は、アフリカ熱帯サバンナの開発への道を開く。世界の食料供給基地として熱帯サバンナ開発の意義は大きい」と答えた。
そもそも「セラード」とは、熱帯サバンナのことである。ポルトガル語で「閉ざされた」という意味である。一般の原野と違い、背丈の低い灌木が生い茂り、容易に中に踏み込みにくいことから名付けられたという。「「セラード」の広さは、日本の国土、37万㎢の約5.5倍の広大な土地である。ただ、「セラード」の土質は、強酸性で、栄養分が溶脱している。植物に有害なアルミニウム濃度が高い。「セラード」が開拓されるまでは、わずかな小規模農家が、自給自足の農業を営むか、大地主が原野に牛を放牧するしか考えられなかった。」と本郷氏は話した。
「セラード」開発の転機は、突然、1970年代に訪れる。ブラジル側にとってのきっかけは、1973年の米国の大豆禁輸措置だった。コモディティー商品として大豆が「セラード」に導入された。一方、日本側にとつては、1972年の不作による世界の穀物市況の高騰、アメリカ大豆の対日輸出禁止が契機となった。
開発の最前線で多くのブラジル日系人が入植者として「セラード」開発事業に参加する一方、ブラジル側との橋渡し役を演じた。日系パワーの貢献である。日本政府も資金援助含め国家事業の一環として積極的に支援した。日本は食糧自給率の低下が、かねてから問題視されていた。1973年のオイルショック、大豆ショック後、食糧の安全保障論の台頭、「食糧基地」の確保、「食糧の開発輸入」と「食糧輸入先の多角化」は日本にとっても喫緊の課題となっていた。
先の質疑応答にも見られたが、熱帯圏アグリビズネスは「伸びしろが大きい」と本郷氏は指摘した。「現在、精密農業が急展開している。ネットによる情報の共有に衛星通信インフラ整備が大きく支援している。畜産廃棄物処理とバイオ燃料・電力生産がすごい勢いで進んでいる。アフリカ熱帯サバンナ農業開発を推進したい」と本郷氏は話を結んだ。
講演の中で本郷氏は「日本では10ヘクタール20ヘクタールで大変です。しかし、セラード開発では最低でも100ヘクタール、200ヘクタールが単位である。全ての点でスケールが日本と異なります」と繰り返された言葉が特に印象に残った。
質問入れて2時間の講演を1枚の紙に書き切れない。貴重な機会をご用意いただいた日伯協会の事務局の皆々様にひたすら感謝である。(了)