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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「ある失恋」

2005-10-09 08:22:26 | ショートショート
「また誘うね」と言ってその日は別れた。
 ずっと気になっていた子との初デート。奮発して、川沿いのしゃれたイタリアンレストランで食事をした。
 美人というわけではなかったが、しゃべり方がとても素敵な子だった。何て言うのか、上品で、僕の後ろの方なんだけど、その子の電話の応対が始まると、何か仕事をしていても、つい聞きほれてしまうのだった。
 夜少し遅い時間、職場で2人きりになったのを幸い、思い切って食事に誘ったら、すぐにOKしてもらった。は、いいが、次の週ということで、慌てて場所を調べることになったのを覚えている。
 当日は、仕事のことやら故郷のことやら趣味のことやら、パスタとワインを前に、たわいのない話をして、いい雰囲気で終われたような気がする。素敵な話し方を間近に見ることができて、幸せな気分だった。
 ところが次の日から、彼女は僕を避けるようになってしまった。普通なら「ゆうべはご馳走さまでした」とか何とか言ってくるものだがそれもなく、こちらと目も合わせなくなってしまった。
 理由は何だったのだろう。何か気に障ることでも言ってしまったのか、食べ方が意地汚かったのか、ひょっとして、そのまま帰ってしまったのが悪かったのか。それともただ単に、好みのタイプではなかったからか…いまだによくわからない。かといって問いただすような間柄でもなく、悶々とした日々が続いた。
 しかし「また誘うね」と約束した以上、もう一度誘わなくてはならなかった。そのままでは彼女がフラれたことになる。それに、2人になればまた笑顔を見せてくれかもしれない、という期待もあった。しばらくして、またも思い切って声をかけたところ、こちらを見もせずに「今忙しいから」とだけ言われた。
 …やがて、その子は結婚・退職、いわゆる寿退社してしまったのだが、「おめでとう」と言えたかどうか、記憶にない。あるいは、その相手とすで付き合っていたのかもしれない。

 ちょうどこの季節だったか、もう何十年も前のことを、ふと思い出した。今となっては、もうちょっと待っていれば事態は好転したかもしれないのに、とも思うが、若気の至りというのか、気が急いていたのだろう。
 もう二度と会うことはなかろう。でも、あの上品な話し方は、今も変わっていないだろうと思う。

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