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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

僕らは未来に生きている

2011-11-13 09:11:44 | エッセイ
 
 愛・地球博記念公園(モリコロパーク)にある「サツキとメイの家」に行ってきた。昭和の匂いのする家構えや家具や台所に、懐かしい思いがしたものだ。
 その見学の前、係員から「舞台が昭和ですから、ケータイの着信音は似合いません。スイッチ切るかマナーモードでお願いします」という注意があった。
 確かにトトロの時代には、ケータイもデジカメも薄型テレビもなかった。かの家のかまどやお風呂はマキを燃やすタイプだったし、トイレは汲み取り式。不便だったけど、それはそれで良かったと、今は思える。

 たとえば新幹線に乗ってカロリーメイト食べながらワンセグ見るなんて、昔は考えられなかったこと(当たり前ながら、江戸時代の殿様だってできなかった)。その頃からすれば、僕らは〈未来〉に生きていることになる。
 ただ、たとえば大阪万博で感じられたような〈未来〉とは、どこか違うような気がしている。もっとバラ色だったような。でもそれは僕が子供だったから、あるいは未来はいつもバラ色に見えるからなのかもしれない。
 こうしてネットで自由に情報発信できるし、メールで海外の友人ともすぐに連絡をとることができる。これは非常に便利なことだけど、その分僕ら幸せになったのだろうか、というとどうも…。メールにはすぐ返事出さないといけないような気がするし、ケータイでいつも誰かに縛られているような気になる。機械化・貿易自由化が進んだせいか、失業率が高くなって自殺者も増えている。ゲーム機ばかりで子供は外で遊ばなくなり、体力低下しているようだし。
 もう充分便利なのだから、これ以上便利にならなくていいようにも、思う。

 この先、さらに情報化・国際化・高齢化が進んで行くことになる。いろんなことが変わってますます便利になっていくんだろうが、ストレスの多い、イヤな社会になりはしないかと危惧しているところ。これから年寄りになっていく者として、生きづらい社会でなければいいのにな、と。
 …うちの実家も、昔はマキや“オガライト”で風呂沸かしていたんだけど、炎見ながらボーッと考え事していた子供時代、良かったなあ。

〔冒頭のイラストは、愛知県のHPより〕

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