Eテレ「100分de名著」はいい番組だ。孔子『論語』やブッダ『真理のことば』、カフカ『変身』等々、分かりやすく解説してくれる。
先月のパスカル『パンセ』はその中でも特に面白くて、第2回の自己愛のところで、講師の明治大・鹿島教授が〈ドーダ理論〉というのを紹介していた。
これ、漫画「タンマ君」や「アサッテ君」で有名な漫画家・東海林さだお氏が唱えている説。知識をひけらかすのはもちろん、謙虚であるのも「この謙虚さはどうだ!」と言っているわけで、ブログやツイッターで自慢話をするのと根は同じとのこと。
人はほとんどの場合、自分を認めてもらいたいという〈自己愛〉で動いているものらしい。(純粋な研究心/向上心で何かに打ち込んでいる人も、もちろんいるだろう)
なるほどなあ、と思った次第。どんな人にも自慢したいことはあるし、優越感に浸りたいこともたくさんあるものだ。
カッコいいと思っているのも、高学歴を誇るのも、いい人であるのも、逆に悪ぶっているのも、「どうだ!」と言っているようなもの。苦労したことも自慢の種になるだろうし、病気がちなのもそう。悩みが多いということさえ、「この悩みの多さはどうだ!」と自分を認めてもらいたいというサインなのかもしれない。
立派なこと言う奴、評論家みたいな口先だけの人間てのはどこにでもいるもので、聞いててあまり面白いものではないが、これまた自己愛の一種と言える。
たとえば何かの提案に対して、「こういう場合はどうなんだ」「こんな場合はどうする」と突っ込んでくる奴はいるもの。物事進める際には大事なことで、そういう意見も必要なのだが、「こういうことも検討していないのか」という意味合いとともに、「自分はここまで考えられるんだぞ」ということ主張したいものらしい。
特に若い者が突っ込んでくる場合は、自分をアピールしたいという気持ちの強いことが多いので、それはそれで聞いてあげないといけない。
…と、僕もこうして僕なりの「ドーダ!」をひけらかしているわけです。