インフルエンザがはやる季節になると、「マスクおじさん」と呼んでいた人のことを思い出す。
マスクおじさん。それはカゼやインフルエンザに罹っていそうな周りの人にマスクを配って回る、とあるおじさんのこと。僕自身は商店街で何度か見掛けただけだが、何か言いながら確かにどこかの青年やおばさんにマスクを手渡していた。受け取った方はマスクなしでゴホゴホと咳をしていたので、どうやら「マスクをしないと周りの人に移ってしまうよ」とでも伝えているようだった。
移された人が軽い症状で済めばいいが、仮に重い肺炎にでもなれば、それはそれで“傷害罪”にでもなり得るのではないか、とその頃の僕は思っていたので、マスクおじさんのことは内心応援していたものだ。
だからと言って僕自身がマスク配ろうとは思わなかったが、おじさんは具合の悪そうな人には渡していたらしい。中には、断わられたり因縁つけられたりしたこともあっただろうに、マスクおじさんの噂は冬が来るたびに聞こえてきた。もちろん本人がマスクしていて顔が分からない時もあったようだが、それでもやることはやるので、遠目にはそれと分かるのであった。
カゼやインフルエンザに対し、マスクがどの程度有効なのかは知らない。ただ或る時期、おじさんの活動範囲と思しきこの地域だけ、インフルエンザの患者が他と比べて少なかったことがある。たまたまなのかもしれないが。
そしておじさんの噂は、いつの間にかなくなってしまった。噂をされることがなくなっただけなのか、イヤになってやめてしまったのか、それとも本人がインフルエンザに罹ってしまったのか…。
つい先日、中学時代の友人と久しぶりに会った際、何かの拍子にかのおじさんのことが話題に上った。友人の知り合いのお父さんらしいのだが、何でも、その知り合いの妹さんが小学生のころ、可哀想にインフルエンザをこじらせて亡くなってしまったとのこと。どうも発症する前に、バスに乗り合わせたどこかのおっさんが、すぐ近くでマスクなしで咳をし続けていたんだそうだ。
その時その誰かがマスクをしていれば、という思いだったのだろう。おじさんの気持ちが、子供を持った今となっては、よくわかる。生きていればもう90くらいだろうか、おじさんの消息は、やはり分からずじまい。
通勤する電車の中でも会社でも、確かにクシャミにしろ咳にしろ、鼻も口も覆わずにやっている人はやっていて、そういうのを見ると、マスクを手渡してしまいたくもなる。しかしマスク代もバカにならなかっただろうな、とも。
Copyright(c) shinob_2005