まだまだ若いつもりでいたが、還暦も近くなってさすがにあちこち弱ってきた。歯周病で奥歯は失うし、寒い時季だけだけど耳鳴りに悩まされるし、起き上がる時や段差でよくよろめく(かわいい子によろめくならいいんだけど)。何より、気力/記憶力がかなり落ちてきた。
だから〈死〉をだんだんと意識せざるを得ない。ただ、他の人はどうか知らないが、今のところあまり怖いとは思っていない。死後の世界を信じているからだし、何にもなくなるのなら、それはそれで、と思っているし。
死後の世界があるかどうかというのは古代からの大問題ながら、明確な答えはまだ出ていないようだ。「ある」という人も「ない」という人ももちろんいる。でもでも、可能性は広く持っておいてた方がいいと思う。
「地球が丸いなんて」「海外にいる人と画面で話できるなんて」「将棋で人間が機械に負けるなんて」ありっこない、と言われていたのが現実になった/だったことは多々ある。
「ない」という確証がない限り(「ない」ことの証明は一般に難しいのだが)とりあえず「あるかも」と可能性の枠は残しておけばいいのだろう、と思う。急いで否定する必要は、どこにもないはず。
ついでながらこの場合、「ある」という証明も難しい。写真やビデオに収めることができないものだから。できるとしたら、脳が感じている映像を外部で取り出すことくらいだが、それも〈死に際しての幻覚〉との区別は難しいだろう。
AI含めた科学技術、あるいは哲学含めた人間の知性がいくら進歩しようが、違う世界の話なので、この世にいる限りわかりっこないことなのかも。紙の裏表、あるいはボールの内外、みたいな…。
だから、死ぬのがある意味楽しみではある。もちろん急ごうとは思わないが、どんな世界が待っているのか、あるいはいろんな説が正しかったのかどうかが、分かるはずだから。
もちろん先に死んでしまった人に逢えるかもというのはあるし、ひょっとしたら時空を超えることが可能になり、他の惑星や宇宙の果てを目にすることができるのかもしれない。それも楽しみ。
とはいえ、今いる世界とほとんど同じだという説もあるし、いろんな次元(畜生界や天上界)があって、死後の世界はこうだ、と一概には言えないのかも。