考えられた「愉悦」からは愉悦は消える。
考えられた「柔らかさ」は柔らかくない。
頭―観念を先立てると、心身から湧き上がる感動はやってこない。
ポリーニの弾く(指揮もポリーニ、オーケストラはウィーンフィル)モーツアルトのピアノ協奏曲17番&21番を聴いての感想だ。
頭脳明晰で、素晴らしい技術の持ち主で、真面目で誠実な人柄のマウリツィオ・ポリーニが奏でる音楽は、どうにも躍動しない。沸き立つような生命感がなく、悦びが広がらない。まるで博物館の展示物のよう。
でも、この演奏は、昨年度の新譜で最も高く評価されたCD。
わたしは、自然で大胆であること、自由闊達なこと、無邪気であること、を求めたい。そうでなければ、音楽まで客観学になって死んでしまう。
今ここからの飛翔、淀みのない流れ、いまだ見ぬ世界への憧憬、――未来への投企・実存の冒険のみが、魅力=価値を生む、わたしはそう思う。
音楽も哲学も心身の奥深くから発せられ、表層の善美を打ち破り、臓腑にまで届く納得・悦びを生み出さなくてはウソだ。
武田康弘