わたしは、愛する者を、平面的に愛するのではなく、立体的に愛する。
どうしたら、より相手のよさ・美質を引き出すことができるか?と考え、行為するのが立体愛だ。
わたしは、相手のほんらいのよさを開花させるために、狭く自己を限定している心身を解放させようと試みる。
関わりが深くなるにつれ、時には相手を追い込むこともする。生来イジワルだから?否まったく違う。わたしにはイジワルの要素が少しもない。子どもたちを追い詰め、追い込んだことは数知れずある。でも彼らの大多数は、わたしの本心―真心を少しの誤解もなくまっすぐに分かってくれる。
わたしはよく考え、配慮し、長い目で見てほんとうによい結果を生むためにはどうしたらよいかを思案する。一時の効果・正しさを求めて全体をダメにすることを避けようと努力する。大胆さと繊細さ、情熱と冷静、強引と慎重の双方が必要だ。
平面的に愛しても、互いに真の得・悦びはつくれない。現実の人間の生は立体だからだ。愛を立体化するのは、もちろん想像力。
これがわたしの基本姿勢。もちろん、個々の失敗については反省しつつ、姿勢は少しも変わらない。
武田康弘