思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

道徳の基盤は想像力、道徳成立の条件は愛

2007-07-18 | 恋知(哲学)

わたしは、道徳や倫理の基盤は、言語的理解・整理の次元にはなく、イマジネーション(想像力)によるイメージ喚起力にあると思います。
理論・理屈ではなく、おもうこと・イメージする力を強め広げることが人間的な「よい」を生み出す基盤です。

教師が説く「道徳」が少しも説得力を持たず(まして政治家の説く道徳などは笑止でしかない)、シラケルだけなのは、単なる言葉による躾=説教に過ぎないからでしょう。

道徳が成立するための条件は、人間的自由を謳歌するやわらかな心と、エロースを肯定する生への愛があることです。誰でも人はみな、状況の中で条件づけられてしか存在しませんが、その中で、悦びの生を営み、人生を楽しもうとする心がなければ、道徳・倫理は成立しません。

道徳や倫理は、こうすべき、こうしなければならない、という命令ではありません。そのような外からの要請であれば、それには存在価値がないどころか、よき人間の生を阻害する「悪」とか言えません。既成の善悪の判断に従うだけの人生は、自分で自分を騙(だま)す「自己欺瞞」でしかないからです。

昨日のブログに書いた通り、ほんらい道徳・倫理とは、互いの【生きるよろこび】を広げるための努力・知恵であり、感情とイマジネーションを豊かに育むことで、相手・他者への配慮・尊重・愛を育てる営みです。誰かに従うのではなく、どうしたら自他のよろこびをつくりだせるかを考えることです。心の深くから、悦び・嬉しさ・楽しみを生み出そうとする主体的な努力・創意・工夫がほんらいの道徳であり、自他と世界にエロースを広げようとして生きる人を道徳的な人と呼ぶのです。もしそうでないなら、道徳や倫理には存在理由がありません。

他者の感情―よろこびやかなしみを感じ知るのは、言葉や理論ではなく、豊かな想像力・感情移入の力であり、愛です。愛を育み、生を肯定できる思想がなければ、人間の営みはすべて意味を失ってしまいますから、道徳・倫理も成立しようがありません。言語による論理以前のイマジネーションの世界の広がり・豊かさがなければ、「他者性」とはただの言葉にしかなりません。

家族愛とか伝統の尊重とか愛国というイデオロギーは、まったく道徳ではなく、特定思想による洗脳に過ぎず、個人の良心の自由を侵害する「悪」でしかありません。
繰り返しますが、一人ひとりの人間がよく生きるための道徳の基盤は想像力であり、道徳成立の条件はエロースを肯定する生への愛なのです。


武田康弘



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