思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ルソーは「自然に帰れ!」と主張した!?読まないで語られるルソーの書

2010-03-28 | 恋知(哲学)

ルソーの『エミール』(教育論)、『新エロイーズ』(18世紀最大のベストセラー小説)、『告白』(自伝)、『人間不平等起源論』『社会契約論』(近代市民社会を創り出した政治哲学)は、あまりにも有名な書ですが、これらは、まったく読まれずに語られることの多い書でもあるようです(苦笑)。

とりわけ、『社会契約論』(及び「ジュネーブ草稿」)における市民社会・民主制社会の屋台骨となっている「社会契約」と「一般意思」についてのあまりにも粗雑な、というより、荒唐無稽な解釈の横行には、ただ呆れ返るしかありません。

1年半ほど前に中山元さんの見事な新訳も出たのですから、未読のままでの批判や、一知半解の読解や、拾い読みによる荒唐無稽な解釈ではなく、まずはゆっくりと味読することが必要です。中山さんの解説も正確な理解のために有用ですから、参照されることをお勧めします。

近頃もある高校で、「自然へ帰れ!」と主張したのはルソーである、と答えさせる出題がありましたが、これなども、『人間不平等起源論』を読まずに(否、小見出しだけ読んで)いることの証明です。自然状態には帰れないことを主張しているのがルソーなのに、です(笑)。【原注9】の一部(その部分だけならわずか3ページ半)である「自然へ帰れ!」は論敵への揶揄なのですから、読んでから出題してほしいものです。


なお、以下に、わたしの生徒(高校生)がまとめた「社会契約」と「一般意思」についてのの文章を載せましょう。大学の教師でも読めていない人が多いのですが、西山君と古林さんの読解は明晰なだけではなく、自分の具体的経験を踏まえ、自分の頭で考えたものですので、ほんらいの哲学になっています。わたしはまったく手を入れていません。


社会契約とは何か?

自然状態で持っていたさまざまな「権利」と「人格」を一旦共同体に譲渡する。


・個人が自然状態で持っていた権利… 身の回りで食べ物を取る、好きな場所に家を造る権利等の他、他人の物を奪う権利も持っている。

→周りの物全てへの無制限の権利を持つ。

この権利を共同体に譲渡する時、共同体に参加する者全てが等しく権利を譲り渡さなければならない。


結果としてどうなるか?

・まず、自然状態で持っていた強盗略奪をする権利を失う。しかし同時に、共同体に参加する全ての者も同じようにその権利を失っている。つまり、強盗の権利を捨てたことにより、「自分が強盗されない」権利を手に入れたことになる。
・どれが合法的に手に入れた物かということがはっきりし、保障された所有権が生まれる。

※この社会契約を破り、他の人が手放した権利(例えば強盗する権利)を再び持つ人が出てきた場合、その人はその集団にとって危険な存在であるから、もはやその集団の中で生活することはできない。このような場合、この人は合法的に追放される。


そしてこの集団の中にいる人は次のような3つの人格を持つことになる。
一つは集団の構成員としての個人「民」、集団の方針を決める(政治)者としての個人「主権者」、最後にそれを守る者従う者としての個人「国民」の3つの人格をもち、この集団は国として成立する。(西山)
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一般意思とはなにか?


一般意思とは、自分を含む「その国家の各人」適用される事柄に対する共通の認識・意見の事である。
この時、一般意思に従う事は「自由を失う=不自由になる」事ではないと言う点に注意しなければいけない。

一般意思を作ろうと考えた時、各人は自分が得をするように考える(自分が損をするように考える人はその国に居るメリットがない)。
しかしその時、単なる集団の一構成員(民)として好き勝手な意見を言う訳でではない。
国の方針を決めるのだから、政治的責任を負った「主権者」として発言せざるを得ない。
そして、自分がその集団に属する以上、主権者としての各人が一般意思を作った場合、国民としてその一般意思(≒そこで打ち出した方針や、決定した法)に対し、それを守る者としてふるまう事になる。

「自分の大嫌いな○○って人を苦しめてやりたい」と思って一般意思を形成した場合、その一般意思に従う国民として自分も平等に苦しまなければならない。
こんな事をすれば、自分越しに相手を刺すという滑稽な事態に陥ってしまう。
主権者としての自分に、国民としての自分が従わなければならないのだから。

さて、各人が主権者として自分の利益を一番に考えると、他人にとっても最も利益になる選択をすることになる。つまり、各人が主権者として提案した事は自分も他人も区別が生まれない。先ほど書いたように、「自分は苦しみたいんだ!」と言う人は、国家を作る根本的な理由(自身の安全等)に背くので、そのような人が国家の中にいるとは考えられない。
いても国家に入ろうとはしないだろう。

「安全に暮らしたい」「自分が不利益を蒙る事がないように」と願う人々の国家で作られる、自分たちにかかわる一般意思は、決して間違った答えを出すことは無い。なぜなら、間違った一般意思とは「自分にとって不利益なこと」なのだから。
もちろんこれは、情報操作や裏取引、そして結社や脅迫等が全く無しに、自由に徹底した議論が出来るという状態が必要条件となる。
一般意思が常に正しくあり、民主主義を成り立たせ存続させていくためには、このようなあらゆる不正を排除していくことが大切である。(西山)

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*一般意志とは何か?* 古林あきら

一般意志とは、その共同体を構成する全ての人、私やあなたを含む全員が話し合ってうまれる皆の意見。

皆で話し合って合意するのだから、それはもちろん全員の利益を目的としているし、誰か特定の人や団体が得をしたり損をしたりすることはない。

ただし、「私の利益」を目指すひとりひとりが集まって議論するのだから、あざむいて周りより多く得をしようとする人はいる。
そこで一般意志があざむかれないために、公正・公平で徹底的な議論をする必要がある。

ex)・大きな結社を作って他を圧倒するのは×(どんなに大きくても個別意思が一般意志 を代表することはできないから)
  ・偏った情報で一般意志を誘導するのも×
・首長が一般意志と反する命令を出したときも、誰も「NO」と言わなければそれが一般意志になってしまう
・一時的に個別の利益が一致することはあるが、意志が永久的に全て同じであることはありえないので、自分の一票の権利を他人に譲り渡すことはできない(あなたが今望んでいることを私も望んでいるとは言えるが、あなたが明日望むことを私も明日絶対望むとはいえない)

そうやって念入りに議論した結果うまれた一般意志であれば、皆が納得した皆が得をする考え方なので、それが法になる。
これが一般意志を行使すること(=主権)で、それ以外が国を動かすことはありえない。
(一般意志でなければ、大小あっても個別意思である。)



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