結論から言えば、
品位がない、品位が低い、
と言って他者批判をする行為は、根源的な【差別意識】がもたらすものと言えます。
現代の民主制の社会では、「わたし(たち)の思想や営みは品位が高い、あなた(たち)の思想や営みは品位が低い」、という発話は許されないはずです。
そういう言葉を投げつけられた人は、どうしたらよいのでしょうか。反論のしようがなく、対話・議論は成立しません。こういう言い方はケンカの言葉でしかなく、対話を拒否し、自分の優位を宣言する「本質的に反民主的な言辞行為」だと言うほかありません。
具体的な内容への批判ではなく、「あなたの思想は品位が低い」という発話は、民主的倫理の基本を逸脱した発話であり、人権侵害にあたります。
具体的な例をあげます。
日本料理で魚が出されるとき、尾頭付きの鯛、鮎の塩焼きなど、丸ごと一匹魚がでますが、同じく島国のイギリスでは、そのような食べ方をしません。イギリス人の中には、日本の魚の食べ方は品位がないと感じる人もいるようですが、もし、「魚を切り身として調理するわれわれイギリス人に比べて、丸ごと食べる日本文化は品位に劣る」と発話したらどうでしょう。国際的な人権問題になりますね。
異論、反論、批判は、大切です。しかし、それは具体的な内容として行うべきであり、品位が低い、というような類の発話は、相手を揶揄し、相手を貶め、相手を認めない発話でしかなく、対話・議論になりません。民主制の社会では許されることではないのです。
本質的に品位の低い=下品な発話とは、何かしらの権力(地位や権威や財力)を背景にして、相手に有無を言わせない言い方のことです。対等な人間関係の中で、相手に投げつけてよい言葉ではありません。
わたしは、ディべートや弁論ではなく、対等で豊かな対話(それがほんらいの哲学です)をしていきたな、と思います。「私」の深い納得の営み=哲学が成立するためには民主主義が必要であり、民主主義をよく作動させるためには哲学が必要です。対等で自由な裸の「私」同士の言葉のやりとりが哲学の基本ですので、権威に頼ることは哲学の営みとは背反するのです。これは、原理です。
武田康弘
※上記は、「公共哲学ML」における千葉大学の小林正弥教授の発言(わたしに向けられたもの)に対しての意見です。
小林さん、異論・反論等のご意見がございましたら、ぜひ、コメント欄にお書き込みください。
なお、「公共哲学ML」においては、発言しない自由があると小林さんは主張され、わたしの意見に対しては返答がありません。
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コメント
頭が悪い、というほかありません (荒井達夫)
2010-07-13 20:36:44
「わたし(たち)の思想や営みは品位が高い、あなた(たち)の思想や営みは品位が低い」
これは、単に相手を誹謗中傷するだけの言葉であり、大人の発言として許されるはずがありません。
このようなことを真面目に言っているとしたら、言って良いことと悪いことの区別がつかないのでしょう。
頭が悪い、というほかありません。
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Unknown (古林 治)
2010-07-14 08:13:49
『品性の程度、正邪の判断はすべて私がするのです。』
と言ってるに等しい。ものすごいタカビー目線ですね。
強烈な序列意識にしばられた方なのでしょう。
頭が悪い、というのはまったくその通り。
思考力はなく、ひたすら上位者に媚びへつらい、下位者を見下す。
官僚もマッツァオ。(失礼)
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品位を理解しておられない (清水光子)
2010-07-14 10:13:19
小林正弥さんの言われる品位とは 品位と言うことの意味を理解しておられないのではないかと思えます。呆れています。
真善美を心から求めて考え生きるのが哲学すること と思う八十才になった私は「東大病」に毒されたくありません。差別意識をもったまま棺桶に入るのは御免です。
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上?下? (タケセン)
2010-07-14 12:08:09
わたしは、小林さんに対しても、サンデルさんに対しても、自分が上とか下という意識はありません。
あることについては、わたしは優れていて、あることについては劣っているわけですが、それは当たり前の話であり、大事なのは、よく考えて忌憚のない意見を述べあうことです。
それにより、考えは豊かになるのですから。
わたしは、誰も下におこうとは思いませんが、誰かの下になろうとも思いません。
内容・中身のよさを求めて考え・生きたいと思いますので、清水光子さんと同じ思いです。
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Unknown (はりや~)
2010-07-14 15:01:30
こんにちは^^
「品位が無い」と人に言う人は
それがレッテル張りである事に気がつかないのでしょうね
自分にとって味方で無ければ敵
そのどちらかでしか他者を見れない
宗教と言う言葉が日本では差別用語です
それは宗教と言う自分にとって理解するのに時間が掛かる物を
理解出来ないと決めつけレッテルを貼る
○○は宗教だからと言って、それに対して理解を示している人を攻撃する
「品位が無い」と言うのも同じだと思います
全て否定するのは簡単ですからね
対話や議論が他者を否定し攻撃する為に存在しているのではなく
理解不能な他者を理解し真実を求める作業だと自分は思います
ツイッターやmixiをやっていて感じるのは
レッテル貼りをする人が増えたのは悲しい事ですね
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他者攻撃は自信のなさをかくすため (this boy)
2010-07-14 23:47:36
議論する時に曖昧な感性を持ち出すのは論点を
はぐらかそうとするか逃げようとしているでは
ないかと思います。
結局自分の信念とか人間性に自信を持てない人が他者を攻撃することによって自分の自信のなさを隠そうとするのでしょうね。
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Unknown (青木里佳)
2010-07-14 23:53:59
優劣は、「考え」の内容で競うもののはずです。
小林さんのように、内容での議論はせずに「品位がない」と言う人に、品位があるはずがありません。
しょせんは上に立ちたい「権威主義者」のエゴにしか過ぎないでしょう。
そして心も考えも狭い人がすることとしか思えません。
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権威主義と序列主義を引き寄せる発想 (古林 治)
2010-07-15 15:27:53
この国の省庁で働く官僚という人々はある意味究極の専門家で、立場上、普通の人はおろか政治家さえ知りえないことをたくさん知っているわけです。学歴に加えてその事実が特権的な意識を生み出すのでしょう。
おのずと、多くの知識を獲得した人間に価値があるという場が出来るのも頷けます。
そして、彼らの発想の原点が、(佐藤優氏によれば)本能的に快・不快と自らの立場の保全をめがける点にあるとすれば、本質的なレベルでは賢いとはいえません。
片や(特に社会科学系)大学教授という人々。こちらも普通の人が知らない専門知識や理論をたくさん持っています。中でも欧米先進諸国の最新理論を知る者はさらに上位者として崇められます。欧米を頂点とするヒエラルキー(序列)があるのでしょう。
より多くの知識と理論を身につけたものが優秀ということのようです。
そして、知識や理論によって現実を説明しようとする(見下ろす)視線は神の視座のようです。これでは特権的意識の純粋培養をしているに等しいでしょう。
官僚と大学教授、彼らに共通するのは、知識や理論を先立てずに自分の頭で考えるというよき頭の使い方=哲学的な発想がないという点です。
そこでは、よりたくさんの知識と理論を身につけた者が上位者として認められることになります。
当たり前のことですが、それは必然的に権威主義と序列主義を導くことになります。(世俗的に)知識と理論に秀でていると認められた者とそうでない者。普通の人々が見下されるのがよくわかります。
これはしかし、官僚や大学教授に限らず、世にエリートと呼ばれる人々に共通の問題です。
どれほど善良で優秀な人でも、知識や理論を先立てずに自分の頭で考えるというよき頭の使い方=哲学的発想がなければ、人は権威主義、序列主義に堕してしまう可能性大ということなのです。
このことの自覚は極めて重要です。