以下は、古林治さんからのメールですが、貴重な体験談ですので、ぜひご覧ください。
「日本には教育はない」、と言いたくなります。
古林です。
鈴木文部副大臣のレジュメに記載されていた熟議懇談会のメンバーに田村哲夫という人が載っていました。
この田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校(通称:渋々)について触れます。5年前まで姪が通っていたのです。
多分、最近の学校教育の実態がわかるかと思いますので。
渋々物語、少し長くなりますので、ご容赦。関心のある方は最後までお付き合いください。
以下は、Wikipediaに記載の事実学
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田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日-)は、日本の教育者。
1936年、東京都に生まれる。麻布高校を経て1958年に東京大学法学部を卒業し、住友銀行に入行。 1962年に住友銀行を退社し、渋谷学園理事に。1970年からは同学園理事長。
渋谷教育学園幕張高等学校は首都圏屈指の進学校として知られる。また、従来からあった渋谷女子高等学校を廃止して、渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校を新設、進学校化した。また、年に五度ほど校長講話という生徒と対話する時間を設け、現代社会を生きる術を教えている。
学校法人渋谷教育学園理事長、
同学園幕張中・高校校長、
同学園渋谷中・高校校長、
東京医療保健大学理事長、
麻布学園理事、
青葉学園理事、
日本私立中学校高等学校連合会会長、
日本ユネスコ国内委員会会長、
中央教育審議会委員を務める。
翻訳家でもあり、リチャード・ホーフスタッター「アメリカの反知性主義」などがある。
雅号は「哲山(てつざん)」。
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このほかに国連で教育について発表したことがある、らしいです。姪が渋々にいたときに田村氏が自慢していたそうです。
これだけエライ人だと(権威が沢山くっついてると)政府筋も内容については何も問わずに教育審議会のメンバーにしてしまうのでしょう。ただし、審議会メンバーは自民党政権時代の話。
今もそうなら自民党政権時代と何の違いがあるのかわかりませんね。
さて、姪はハーフで片親でしたので相応の屈折がありました。それが後日、渋々で問題になることに・・・
受験当時は彼女の片親である私の妹もまだ生きていましたが、中学一年時にガンにて他界しました。親がおらずしばらく反りの合わない祖父と暮らしていましたが、その後、私が引き取ったというわけです。
そういうわけで、渋々受験時から私が親代わりの付き添いをやっていました。
『どうして渋々がいいの?』
『あそこは自由な校風だから。』
『ふ~ん?』
入学式時にはじめて田村氏の話を聞きましたが、教育の話についてはまったく印象に残っていません。覚えているのは、知識と名声をひけらかす人だな、という点と、受験効率の話のみです。
高校一年までに受験の習慣(何の疑問も持たず機械的に勉強すること)をつけてしまえば、大学はどうとでもなる、というものでした。
実際に、入学してからの詰め込みは凄まじく、教科によっては中学一年で高校一年レベルのものをやってしまうという状態(確か生物だった)。このことを生徒たちも他の学校とは違うのだというエリート意識へと転換させているようでした。
要は、『一体何の意味があるの?』という問いをすべて放棄し、ひたすら受験知へまい進する生徒を作り上げることが教育だということです。それを高校一年までにやってしまえば勝ち、というわけ。
繊細な感性によって何かを感じ取り、疑問に思い、考え、言葉にし、対話をし、思考を深め、自らの生を鍛えていくという本来の教育のすべてを放棄するに等しいことをやれというわけです。
ここには海兵隊の教育と合い通じるものがあります。最初に人間性を奪い取り、殺人マシンに仕立てていくのが海兵隊の教育です(スタンリー・キューブリック作のフルメタルジャケットを見ていただければよくわかります)。
受験知に何の疑問も持たない生徒を作り上げる教育。それは確かに受験効率からしたら、最も高い成績を残せるのでしょう。
でも、海兵隊教育と同様、すべての生徒がそれにはまるわけがありません。
高校一年になると、クラスわけもすべて成績順、最後のクラスは落ちこぼれというわけです。精神科に通い、うつ病の薬を処方してもらう生徒が結構多い、と姪は言っていました。
さて、中学一年の最初から、毎日夜中まで予習に復習に宿題と、その量は半端ではありませんでした。姪は慢性的な寝不足状態。それでもやり残しがたくさん出ました。
意味があるのかないのかわからずに、大量の問題を解き続けるのはかなりの苦痛を伴います。それに鈍感な生徒は優秀とされ、耐えられずに落ちこぼれていく生徒は頭が悪いと思われるのです。
勉強が出来る=点が取れる=優秀だ、の単一価値によって子供たちを測ることのおぞましさに誰も疑問に思ってない様子でした。少なくとも昔は受験知は必要悪だ、という感覚がどこかにあったものですが、今やそれすらも無くなり、受験での勝ち戦という現実主義が教育そのものに成り果てているようでした。
田村校長がときどき行う校長講和は、姪に言わせると、毎回異なる事例の話を持ち出すのだが、結論はいつも一緒で自分の自慢話、成功話でしかない、のだそうです。
エライ私が君たちを教え諭すのだ、というわけですね。
私が一つ覚えているのは、当時、渋々の生徒だった柔道の中村美里(女子軽量級の日本代表)選手の話を校長がしたそうです。
『でも、中村選手って渋々で強くなったわけじゃないし、渋々で練習してるわけじゃないでしょ?』
『ウン、確かに。』
まだ、女子柔道が花開く前でしたから、そのときから力を入れればスポーツでも学校を売り込むことが可能です。スポーツで名前を売ってる学校はありましたが、それは受験校ではありませんでしたし、中学ではまだやっていませんでした。多くは私立の高校で有名選手を勧誘するパターンでしたね。
そこに目をつけたのでしょう。目ざといのは確かです。
受験成績だけでなく、スポーツでも売り込み、親から受けついだ渋谷女子高等学校をあっという間に新進の有名人気受験校にしてしまったのですから、その手腕は確かに見事です。
もちろん、学校ビジネスという観点から。
その手腕はいろいろなところに見て取れます。有名デザイナーによってデザインされた制服、同じく有名デザイナーのデザインによる机。
生徒に対する校長の推薦本リストはまた親たちの知への関心、エリート意識を充足させるものです。さまざまな哲学・思想の類の本がずらり! 竹田青嗣さんや西研さんの本も入ってました(笑)。
そういうわけで、この学校に来る舎弟の親には有名人、学者、一部上場企業の相応の地位にある人、官僚など、世に言うエリートばかりだったように思います。無意識のうちに、生徒たちはどっぷりエリート意識に染まっているというわけです。怖ろしい話ですが、おそらく、ほとんどの生徒、親、教職員はこのことに無自覚です。
そうそう、議論が大事だ!だからこの学校でもディーベートの時間を沢山とっていると田村校長が自慢していたこともありました。流行に敏なのです(笑)。
姪はどちらかというと、それが得意でクラスで準決勝まで行ったことがあります。
『でも、「山が良いか海が良いか?」、「長男が良いか、次男が良いか?」、そんなこと言い合って勝負して何の意味があるの? 自分たちが抱える具体的な問題についてみんなと話し合って深く掘り下げていった方がズーッと創造的だと思わない?』
姪は当時は『確かにそうだけど、学校が・・・・』の反応。
学校は対話を学ぶ場ではなく、弁論術、言葉の喧嘩を学び、勝ち組、ソフィストを作り上げる場だったのです、実は。さぞ優秀なソフィストが生まれることでありましょう。
この学校にい続けるのは姪にとって非常にまずいな、と思い続けた私ですが、何かのきっかけがないと転校を強く勧めるわけにはいきません。日常的にはいろいろな会話はしてるのですが。
姪:『○○ちゃん凄くユニークなんだ。お父さん、○○大学の教授なんだって。』 羨望のまなざしで。
私:『そうか、だから良識ないんだ。』
姪:『・・・・』
姪:『学年主任のM先生凄いんだ。京大出でね、新聞の端から端まで全部、どんな小さな記事も全部読んでるんだ。』
私:『ふ~ん、それにどんな意味があるの?』
姪:『・・・・』
私:『どうして渋々にしたの?』
姪:『自由な校風に見えたから。』
私:『自由な学校だったら制服なんかないんじゃない?』
姪:『あ、そーか。』
私:『あそこ、自由な学校?』
姪:『全然!』
ある日、機会がやってきました。
姪が友人のシャープペンシルを目の前でへし折ったというのです。これはいじめに違いないと学年主任のM先生と筋肉頭(と姪が言っている)の体育教師が姪をおよそ7時間に渡って軟禁状態にし、尋問をし続けたのでした。
力が強いということを顕示しようと、友人が折れるか?と持ち出したシャープペンシルをその場でへし折ったというお馬鹿な行為だったのですが、以前にネットで友人の悪口を書いていた前科があり、勝手にいじめだと決め付けて軟禁・尋問をやり続けたのでした。
この事件には、前フリが少しあります。学年主任のM先生は社会科の教師でもあり、授業中に中国の悪い面ばかりを教えるというのです。そのせいで、クラスは中国・中国人への嫌悪で満たされ、クラスにいた姪の中国人の友人がおびえるような状態にまでなっていました。
姪は『なぜ中国の悪い面ばかりを教えるのか。変ではないか。中国人のTさんのことも考えてくれ。』
と何度か異議を申し立てに行ったのですが、満足する返事はもらえません。
そのうち、両者の関係はとても良好なものとはいえない状態となりました。片や、問題のある子だ、どうにかしないと、と思い、姪の方は嫌な先生だ、信用できない、と思っている状態。
そのような関係のまま、教師が生徒を7時間に渡って閉じ込めて尋問し、怒鳴りつけるという行為は明らかに異常であり、児童虐待、人権侵害以外の何物でもありません。
姪と私は学校に呼び出されました。相手は学年主任に副校長(田村氏の娘)に教頭、それに担任と、オールスター勢ぞろい!大将の田村氏がいないのが残念ですが、彼らがどれほど優秀なのか明らかにする絶好の機会到来です。
一通り学年主任の説明があり、いじめは無かったと判明しました、と役人のような説明。
次に教頭と副校長の高尚な教育論を承ります。
一通り、学校側の説明が終わり、私の番。
やったことは叱られて当たり前のことですし、当人が謝罪し反省することも当然のことと思います。
ただし、疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとするのは警察の尋問と同じですね!
挙句の果てに、いじめの疑いは晴れましたではどこかおかしくないですか。
これは人権侵害ですよ!姪に謝罪しましたか?
と問い返すと教頭と副校長は目を白黒させて沈黙。学年主任はオドオドして致し方なく姪に謝罪することになりました。担任だけが状況を理解していたようです。
終了後、『辛かった?ごめん。あたし、事情全然知らなかった。』と言ってました。
多分、教頭と副校長は人権侵害についてまったく理解できなかったと思います。
学年主任は言われてから、しまった、という感じでしょうか。
このあと、姪の友人の間で、あの連中が私に謝ったんだよ、としばらくの間、話題もちきりのようでした。
エライ人たちの実態が姪にもはっきりと見えた点では良い経験だったと思います。
こうしてようやく渋々を去る決心がつき、去ることになりました。渋々の偏差値の高さがある種のプライドをくすぐっていたでしょうし、場所(渋谷)も制服もまた魅力だったのでしょう。さらに、やっとできた友人たちとの別れが決心を鈍らせたようですが、中学2年の6月の終わりにようやく我孫子中学へ転校することになりました。
本人にとっては都落ち。慣れるのに一年半ほどかかりましたが、後日、転校してよかったと本人も言っています。
普通のサラリーマン家庭の子、農家の子、学校教師の子、地元商店の子、といったごく普通の人々が普通に暮らす世界なので、極めて健全だと思います。
ここから渋々を見るといかに自分が異様な世界にいたのかがわかるとも言っていました。
受験知の実態がわかるかと思って渋々での体験を書き綴りましたが、渋々が特別でないことは今姪が通っている土浦日大の実態を見てもわかります。
洗練度は違いますが、詰め込みは一緒で、受験知=教育と化しています。理科の実験は一切ありません。教科書に書いてある、というわけです。
高校1年次から3年にいたる父母会のほとんどに出席していますが、教育の話は皆無です。
あるのは受験の話のみ。
学年主任とは何度か直接話しましたが、私の言い分に同調するフリはするものの実態は東大病に完全にやられているようです。(困ったことに、この人、竹田青嗣さんの信奉者です、笑)
江戸取(江戸川学園取手校)で最も多くの東大生を出した担当の二人がこの土日に引き抜かれ、学年主任と英語担当を担っているというわけです。
二人とも東大出であり、東大にいかに沢山の生徒を入れられるかが使命と思っているようです。
ただし、昨年度はゼロ!でした(笑)。
渋々や土日が特別なのではなく、私立校の生き残り策として受験結果がすべてという風潮ができてしまっているようです。少なくとも有名私立校は大なり小なり受験知の塊と化していると聞きます。
そこで働く人たちは無論悪意でそのような教育をやっているわけではなく、本気で子供たち(とその親たち)の要求に応えるべく必死に受験知に情熱を注ぎこんでいる善人なのです。人間破壊をやっているという自覚など当然まったくありません。それが怖ろしいことなのですが。
受験知は客観知による支配=人間性の否定、権威主義、エリート主義、思考停止を招き、豊かな民主制社会を阻む最大の要因と化しています。
これは何とかしないとねえ、と思っているところへ、あの鈴木文部副大臣のレジュメが来たものですから本当に気持ち悪くなってしまいました(笑)。
長くなりましたが、渋々物語、いかがでしたか。
この渋々の田村校長がこの国の教育の方向性に何らかの指針を与えているとなると、皆さんもゾッとされることでしょう。
日本の教育何とかしなくちゃ!
以上でした。
ps.実のところ、自由の森学園での戦争と同じことになるんじゃないかと内心、
戦々恐々でした。
あちらは給料もらって仕事してる身ですけど、こっちは全部持ち出しの無
料奉仕ですからね。
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コメント
まるで「児童虐待」 (ざらすとろ)
私は受験だとか進学校だとか一切無縁な人生だったので、
実態をこのような形で伺うと、こいつらアホちゃうかと思います。
もし自分に子どもがいるとしても、こういうアホどもにだけは子どもの教育を任せたくはないものです。こういうアホがこの国を動かしているんじゃ、そりゃ、こんな酷い状態になるのは自明です。
こんな教育を12年間も強要する事そのものが児童虐待です。
少なくとも国家や経済を動かしていくだけの教養や知性、論理性、
洞察力はあのやり方では間違いなく身に付かない。
日本の未来は絶望的に暗い・・・
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まず親が覚醒しなければ (Cmoon)
7時間に及ぶ自白強要は、特捜の被疑者尋問を思わせます。
なぜ、そこに厳つい体育教師がいるのか……まるで昔の特高のようですね。あるいは、暴力団的な発想も感じます。
保護者を呼び出し、副校長、学年主任、担任とここまで揃わないと、保護者に事のあらましを説明できないのでしょうか。担任一人で済むことです。
ここにも、官僚的な臭いがぷんぷんします。我々が役所に行って、何らかの不備の説明を求めると、次から次へ責任者と言われる人が出てきます。そして、何とか問題にならないように説き伏せようとする。
何だか、怖ろしい光景を見ているようです。
フルメタル・ジャケットも彷彿しますが、ヒトラー・ユーゲントの教育現場を見ているようにも思えてきます。
どちらも人間性を喪失させ、誤った一つの価値観を持たせ、魂を失った操り人形のようにさせてしまうこと。
海兵隊は、米軍の誇りであり、ヒトラー・ユーゲントは、将来のエリートとでした。
日本のエリートが、このように創られていると思うと、暗澹たる思いです。
教育現場では、教師はもちろんですが、その前に親が覚醒しなければならないですね。
その親の世代も、受験戦争を経験している人が多く、是としないまでも、否定はしない人が多く見受けられます。でなければ受験のための塾はこれほど繁盛しませんから……
嘆いていても仕方ありません。実践するしかないですね。
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教育は「染脳」ではない。 (茶所博士)
教師はえてして権力者、独裁者になりがちですからね。生徒は反逆の精神を以て答えねばなりますまい。さもなくば、無気力で面従腹背の輩となります。
教育関係者の言う「素直」は「従順」、もっとはっきり言えば「服従」「隷従」と混同していますね。子供のうちから奴隷化というか、家畜化というか、おぞましいことです。しかも当人たちは聖職と思っているのだから始末が悪い。
「洗脳」というより「染脳」と書くべきだと言う人がいるほどですからね。染脳された子供が本来の自分を見失って、様々な社会問題を引き起こしているのが現在の我々の状況であると大人たちは心得るべきです。
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洗脳ではなく、占脳と染脳は根源悪 (タケセン)
先入観、既存の価値意識に染まっている脳を洗う(洗脳)ならば、よいことですが、学校は、自分の頭で考える力をつけるのではなく、脳を占拠する(占脳)であり、脳を染める(染脳)であることが多く、民主主義国家における教育になっていません。主権者=決定者は、われわれなのにです。
「公共」(こどもたちを中心として親たちと教師たちの自由対話による決定)と乖離した教育は、根源悪なのです。それを皆が意識しないといけません。東京都教育委員会(石原都知事)もそうですが、経営者による独裁的・独善的教育は許されないのです。
教育の「民主的公共化」は、現代日本の最重要課題です。
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「官=公=国家」を維持強化する (荒井達夫)
とにかく受験エリートが一番偉い、という価値観を広く深く植え付け、「官=公=国家」を維持強化する役割を果たすことになると思います。
これでは「新しい公共」など実現できるはずがありません。
とても恐ろしい話です。