思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

過去ではなく現在。未来ではなく現在。この今こそが特権的価値をもちます。

2010-07-15 | 恋知(哲学)

わたしたち人間は、時間をたえず意識する存在なので、時間的存在と言えます。
過去・現在・未来、という表象を持ちます。
しかし、その三つは並列される概念ではありません。

過去の追憶も、未来へのイメージも、この今の意識に上るのであり、明瞭なのは、この今の意識のみですが、その今は、ある長さの時間の幅をもった現在として存在します。
一瞬というのではなく、「ある幅をもった現在」をわたしたちは生きています。

歴史的な出来事は、その現在との関係の中でのみ、意味と価値をもちます。過去それ自体に意味と価値があるのではないのです。
過去の事実は、現在を豊かにするために用いられたときにだけ輝きます。どのようにこの今をいきたいのか、生きるのがよいのか、その想い・考えが、過去の見方・評価を導くのであり、それ自体の「意味」が客観的に存在するのではありません。
今のわたしたちの生の欲望・関心の質が過去の評価をするのです。これは原理です。

だから、その時々の支配的な潮流に流された営みではなく、人間の生の条件をよく見つめ、深く探求する営みには、歴史を超えた価値が生じます。そのような営みには、「人間性」の刻印が深く刻まれているので、この今(ある幅をもった現在)を生きる人に、悦びや勇気を与え、この今の輝き、生の充実をもたらすのです。知識や理論ではなく、自分の経験を自分の頭で考えるという哲学する営み(哲学書を読むということではありません)が、豊かなエロースをもたらすのは、それが人間が生きる意味そのものだからです。

意識存在であるわれわれ人間は、たえずこの今を意味づけ、価値づける存在であり、その営みがほんらいの哲学であると言えます。だから、哲学とはすべての人にとっての必需品なのであり、エロース(魅力の源泉・湧出)そのものなのです。

それが了解できれば、未来とは何か?が分かります。未来とは定まったものではなく、可能性のことですが、それはイメージとしてのみ与えられます。今をどう生きているか、が、その未来のイメージをつくるのです。

過去、現在、未来、とは、並列されるものではなく、この今(ある幅をもった現在)が特権をもつのです。日々、現在をどう生きるか、生きられるか、それこそが過去を活かし、未来を切り開く鍵となります。過去への逃避や、未来への妄想は、現在の輝きや充実を阻害します。いまを生きよ!いまを充実させよ!いまを深めよ!それのみが、時間的存在であるわれわれ人間が「よく生きる」条件なのです。


武田康弘


コメント (2)
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