残念ながら、日本語における人称(自他をどう呼ぶか)は、これ以上は不可能と思われるほどの上下関係の明示であり暗示です。わたしたちは、他者に呼びかける時、立場が上か下かをどれほど気にしていることか。呼び方における暗黙の規則の徹底を知ると慄然とするほどです(『ことばと文化』・鈴木孝夫著・岩波新書の「六・人を表すことば」を参照)。
この呼び方における上下文化が、自由対話・議論・熟議を著しく阻害しています。人間の生き方や社会のありようを考える言説までも、教える者と教えられる者との関係におかれ、対等・自由な対話が成立しないのです。
そうだからこそ、わたしが小林正弥さんに提言したように、少なくとも対話や議論の場(公共圏・公共空間)ではその人の名前に「さん」をつけて呼ぶことで、上下関係を廃する努力が求められるのです。
ついでに言えば、ネット上で匿名という条件ならば「好きなこと」を言えるが、実名では語れないのがわが日本人の現実です。これも言説内容ではなく、どのような地位や立場の人が言ったのかが主要な関心事になる「貧しい文化」のもたらす副産物です。また、思想とは「私」から立ち昇る「主観性の知」であることを知らないために、堂々と自説を述べられない心理に陥るのでしょう。
ネットウヨクが大声を出せるのも匿名の範囲に限られるのですから、笑止ですね。ウヨクもサヨクも客観神話に呪縛されて自由に身動きできないのです。金縛り!
また、同じ人なのに、社会的地位が上がると、本人も周りも態度が変わる。急に上から目線になり、急に自信たっぷりになり、付き合いづらくなります。本人も周りも立場が上になったと思い、それが言動を変えさせるようです。なんと愚かでツマラナイことでしょう。これでは民主主義は永久に不可能です。
脱線しましたので、戻します。
【どう呼ぶか?】これは、民主的な公共性を広げ・深めるためにとても大事な問題で、われわれ日本人が身体化させてしまっている常識を洗うことになりますが、これこそ「新しい公共」を実現するための鍵となる課題です。
「さん」付けによる民主主義を広げましょう~~~~。何よりも一番求められるのは、自分自身の生き方・常識を捉え返すこと、大げさな言い方かもしれませんが、「回心」なのです。
武田康弘
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コメント
さん付け、賛成です (森田明彦)
2010-08-14 14:15:07
お久しぶりです。
森田明彦@子どもの権利活動家です。
私も、これまでいろいろな組織で仕事をしてきましたが、ひとを役職名で呼ぶ組織とは相性が良くありませんでした。
そもそも、上下関係というものが苦手でした。
でも、自分の中に根深い階層意識があることも自覚しています。
日本人が克服しなければいけない最大の課題だと思っています。
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うん、最大の課題です。 (タケセン=武田康弘)
2010-08-15 14:12:19
「日本人が克服しなければいけない最大の課題だと思っています。 」(森田)
まったく同じですね。コメント、どうもありがとう!