政治権力により「基本的人権」を制限できるとする橋下市長と石原都知事。彼らの政治権力による個人の自由の抑圧は、戦前の天皇制による日本やナチスドイツの政治体制を支えた思想と同じで、その時代の多数派(政治権力者)が、個々人の思想の自由とその表明を縛ることができるとします。
このような思想は、【人権思想】を根源ルールとする近代民主主義国家においては認められていません。【互いの自由を承認し合う】ことを認めない思想は、民主主義社会では禁止されています。それが【根源ルール】(通常のルールが成立するための大元のルール)なのです。もし、その根源ルールに従うことがいやならば、この社会・国家で活動することはできません。
以下のブログ(エリノア・ルーズベルトの言葉―偕成社・伝記『世界を変えた人々』第18巻)でもご紹介した【世界人権宣言】(1948年に国連で採択)の19条は、以下の通りです。
「すべて人は、意見および表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由ならびにあらゆる手段により、また、国境を超えると否とにかかわりなく、情報および思想を求め、受け、および伝える自由を含む」
また【日本国憲法】の同じく19条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と一言で明瞭です。
個々人の思想の自由、とりわけ、政治体制への批判や反対の自由が保障されなければ、社会の発展は望めず、国は活力を失って滅ぶのです。戦前の日本やヒトラーのドイツが、一時的には驚くほどの発展をしても、結局は壊滅するほかなかった歴史を見れば一目です。
強権により人権を抑える思想は【根源悪】でしかありません。個人の思想の自由こそは、民主主義国家の屋台骨なのです。政治家になる人は、近代民主主義の哲学的基盤について深く明晰な認識をもたなければなりません。心して下さい。
武田康弘