思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

義憤(公共的憤り)にあふれた東京新聞・筆洗ーー狂い咲きする「東京都教育委員会」の教師への弾圧。

2012-01-31 | 恋知(哲学)
東京都教育委員会のお役人さんと石原慎太郎さんのまえには「人権思想」は紙くず同然。彼らは、人権と民主的倫理にとっては「悪人」の象徴としか言えませんが、今朝の東京新聞・筆洗(一面の最下段で社説と同等)は、極めて的確なものですので、以下にコピーします。

千人近い生徒全員の名前と顔を覚え、校門で気さくに声を掛ける高校の校長はまずいないだろう。退職する時、卒業生全員から寄せ書きを贈られた熱血教師は、あることがきっかけで教育現場から排除されてしまう。

東京都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんは二〇〇六年、職員会議で教師が挙手して採決することを禁じる都教育委員会の方針に異を唱えた。二度と戦争をしないために最も重要なことだ、と生徒に語っていた「言論の自由」が奪われることへの危機感からだった。

定年を迎えた〇九年、ほぼ全員が採用される非常勤教員の試験で不合格になった。すべての項目で最低のC評価。都教委に歯向かったことへの報復であることは明らかだった。

不採用は不当」と土肥さんが都教委を訴えた訴訟の判決がきのう、東京地裁で下された。結果は敗訴。結論が先にあり、理由を後からくっつけたような説得力のない判決だった。
東京や大阪では鋳型にはめ込むように「お上」に従順で物言わぬ教師をつくることに躍起になっている。そんな流れに歯止めをかけるどころか、助長する判決を連発する司法の責任は重い。


三年前の離任式で生徒から渡された「卒業証書」にはこう書いてある。「教育委員会の弾圧にも負けず本校所定の課程を修了したことを証する」。この“宝物”を胸に土肥さんは再び闘いを始める。



以前、わたしは、土肥さんの著作への批評をアマゾンに書きましたが、それは、以下です。

最も参考になったカスタマーレビュー

18 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 東京都教育委員会の「狂気」の実態に唖然, 2011/2/21

By 武田康弘 "タケセン" (千葉県我孫子市) - レビュー対象商品: それは、密告からはじまった―校長vs東京都教育委員会 (単行本)

澤宮 優さんの書かれた『生徒がくれた“卒業証書” ~ 元都立三鷹高校校長 土肥信雄のたたかい』に続き、今度は、土肥校長自身が書かれた『それは、密告からはじまった』を読みました。

こよなく生徒を愛し、優れて民主的な学校運営を続けた土肥信雄さん。ほとんどすべての生徒と保護者から愛され、支持されてきた稀に見る校長先生を、東京都教育委員会と石原知事が任命した将棋棋士の米長教育委員は目の敵にし、権力をもって弾圧・陰湿なイジメを行ってきましたが、その実態が本書では、事実をもって淡々と語られています。ただし、土肥さんの心は熱く、叙述はユーモアに富んで楽しいですが。

これを読むと、東京都教育委員会の「狂気」という他にない言動の意味が分かります。戦前と同じく、特定のイデオロギーにつく行政=政治がもつオゾマシサ・危険性が戦慄と共に明白になります。現場・当事者の意思を無視し、上位者のもつ特定の思想を強権によって実現しようとする事がどれほどの「悪」であることか。彼らの所業は、近代市民社会の常識を大きく逸脱し、根源悪と呼ぶほかありません。

本書を読み、一連の出来事の「事実」を知ってなお、東京都教育委員会に理があると思う人は、おそらく唯の一人もいないでしょう。議論すること自体を認めない!!という教育とは、酷い管理でしかありませんが、管理と教育が二律背反であることさえ知らない人が教育行政に関わるとは、ただ絶句あるのみです。管理とは機材や設備、あるいは品質について言われることであり、人間を管理するというのでは、悪未来のSF小説でしかありませんし、歴史的には、ヒトラーのナチズムや戦前の天皇制下の軍国主義における人間抑圧そのものです。

いま、土肥さんは、東京都教育委員会を相手に裁判をしていますが、この裁判で万一土肥さんが「敗訴」するなら、わが日本の民主主義は完全にオシマイでしょう。繰り返しますが、本書を読まれてなお、土肥さんに非があると思う方は、一人もおられないと思います。ぜひ、ご一読を。

「教育現場で私は生徒に「自分の思ったことははっきり言いなさい」と指導してきました。ほとんどの学校の教育目標に「自主性、主体性」という言葉が出てきます。私は、それを生徒に教えた責任からも、自分の思ったことは言わずに、不当な権力にへつらうことは出来ません。・・・今回提訴した一番の理由は「生徒のために」です。私の教えた生徒たちが自分の思ったことを自由に発言できる社会にしたいからこそ提訴したのです」(土肥信雄・本書106~7ページ)

みなさん、この問題に限らずですが、私が、自分が、できることをしてみませんか。評論家のような生き方はよい人生ではありません。小さな勇気ある行動・よき行為によってのみ、人間の生は、意味をもち、価値づく、わたしは、そう思っています。

武田康弘

ーーーーーーーーーーーーーー

いまの社会は、正義は消え、既得権益者が他者を差別・抑圧することが当然という状況が続きます。批判者は排除する、体制に従う者以外の権利は認めない、というがごとき状況です。わたしは、昨日マイミクになったリーフさんへのコメントに以下のように記しました。

タケセン2012年01月31日 12:03

これから、外的世界は、ますます混乱し、混沌が続き、世界には諸問題が横溢するでしょう。これは、避けられないことだと思います。
こういう状況だからこそ、何より求められるのは、内発的に、内からの充実した生を「私」が貫くことです。
戦前の天皇現人神の時代においても、少しもひるむことなく、堂々と論を張り、公共社会を拓く努力を続け、「私」という座標軸を不動のものとして生き続けたのが戦後第55代総理となった石橋湛山でしたが、彼は、どのような状況にも正面から立ち向かい、人権と民主主義の原理を徹底して貫きました。
民主制とは社会思想である前に「民主的倫理」であることを明晰に自覚した人は、困難な外的環境にもひるむことがありません。「内から」という生の基本を踏まえているので、豊かさと落ち着きをもつのですね。
共に不退転で楽しく生きていきましょう。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする