思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

政治家による教育支配ほど危険で不幸なことはないー石原都知事のおぞましい想念。

2012-01-06 | 社会思想

かつて、
「僕は、岩陰に隠れて水中銃で回遊魚を打つのが好きなんだ。第一次世界大戦で復翼機(戦闘機)が敵に撃たれてキリモミしながら落ちて行くのを見るようで【快感】だ!」(月刊マリンダイビング誌)
と語っていた石原慎太郎氏は、

根っからの男権主義者―父権主義者ですが、彼のような政治権力者は、教育を政治で支配することを「よし」とし、自分のもつ思想を、教育を通してこどもたちに押し付けることに【快感】を感じるようです。その意味では北朝鮮の指導者たちとの共通性をもちます。

このような想念に囚われている政治家は、人々の不満・不全感を利用して、自分が抱くヒステリックで強圧的な観念を現実化しようとする情熱をもちます。民主的倫理を踏まえない政治権力者たちに共通する危険な言動ですが、こういう人間たちが国を未曾有の災いに陥れたことは近代史が証明するところです。

いわゆる国家主義者(政財官のエリートが支配する国家をよしとする思想)は、大多数の国民に厄災をもたらすのですが、それを独特の思想=レトリックにより正当化します。石原慎太郎氏のような文学者が得意とする分野です。主権者である一人ひとりの国民をうまく騙す言説で、民主制社会の根源ルール(=人間の対等性と個々人の自由に基づく人権思想)を乗り越えてしまいます。これほど危険でオゾマシイことはないのですが、人々がなかなかそのことに気づきません。ヒトラーも世界で最も民主的だった『ワイマール憲法』の下で、正当な選挙で選ばれた政治家であったことを忘れてはなりません。

民主主義とは、人間存在の対等性を不動の原理とし、個々人の思想・信条の自由を政治権力で抑えることを禁止するという【根源ルール】をもちます。したがって、それに反する思想の自由(例えば、多数の支持があれば、個人の人権を奪うことができるというような考え方)を認めないのです。この原理の上に成立しているのが民主主義国家ですので、これに反する思想をもつ政治家の活動はほんらい許されないのです。

「教育を破壊的に変えないといけない」と述べ、それを新党参加の条件にするという昨日(1月5日)の石原慎太郎氏の言動・思想は、民主制社会では到底認められない発言です。教育をどのようにするか、は、当事者である子供とその保護者(とりわけ母親)と現場で苦労する教職員、地域住民の粘り強い話し合いと試行錯誤により進めるのが、民主制社会の唯一の方法です。それを徹底したところにフィンランドの教育改革の目覚ましい成功があったのです。

政党・政治権力により、教育の内容を決定できるという想念は、本質的に民主主義を破壊する思想でしかありません。関係者の猛省を促します。こういうことも知らない・弁えない政治家は、深く愚かです。


武田康弘
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