わたしが生きる、
一人の人間であるわたしは、わたしの生の悦びを味わいつつ生きる。
わたしは、
わたしの感覚、
わたしの感情、
わたしの想い、
わたしの思考を、
繊細に、濃やかにし、強め、深め、豊かにしつつ、より自由に生きる。
わたしは、わたしの生の内実を充実させ、色づかせる。
わたしの外にあるすべての営みは、そのわたしの生を意味づかせ、価値づかせるためにある。物や、制度や、組織は、すべてわたしがわたしの生をよきものにするためにあり、それ自体に価値はない。上記のようなわたしの生を充実させる手段としてのみそれらは価値をもつ。
以上は、人間的な生の原理です。
わたしとわたしの交流・わたしとわたしの支え合い・わたしとわたしの共同を超えた価値や権威は、ほんらい存在しません。
わたしが頭を下げなくてはならない制度や組織があるとしたら、その社会は民主的倫理に基づく民主制社会ではありません。そのような威張った制度や組織がある社会は、特権者以外の人にとっては「悪」です。
とりわけ税金でつくられている制度や組織は、わたしの生に資する限りにおいて価値が生じます。どのような制度や組織も、それ自体に価値はないのです。
わたしは、
「わたしの感覚、
わたしの感情、
わたしの想い、
わたしの思考を、
繊細に、濃やかにし、強め、深め、豊かにしつつ、より自由に生きる。」
のです。
武田康弘