わたしは、中学生のころからLPレコードを聴き始めましたが、最初の頃は、一番人気であったカラヤンのレコードも幾枚か買い求めました。ベートーベンの4番と8番、9番は、最初期によく聴いたものですが、しかし、高校2年生の頃から次第に嫌気がさし、買わなくなりました。
CD時代に入り、今まで千数百枚のCDを購入しましたが、彼のCDは、リヒャルトシュトラウスの歌劇「サロメ」全曲の一組だけ。
あまり長いこと聴かないのも悪いと思い(笑)、先ごろ、カラヤンの得意とするワーグナーの管弦楽曲集2枚を購入し、聴いてみました。この演奏は、批評家から「最高」と評価されているものです。
以下は、わたしの感想です。
意識には階層があるが、カラヤンの指揮で音楽を聞くと、感覚神経次元の音響的快感に留まり、音楽が魂(心の深部)に届かない。さらさらと流れてしまう。流線形のクルマがスーと走り抜ける快感はあるが、それ以上ではない。
大スペクタクル映画の面白さで、絢爛豪華。外見を磨き抜いた美は、精神ではなく感覚だけを痺れさす。エンターテナーの楽しさに徹しているので、商売としては上手いが、人間の生死の次元とは別で、なんとも軽々しい。
わたしは、彼の上っ面の音響音楽は、人間性を堕落させると感じる。深味の世界とはまったく異質、作られたアトラクションの面白さの提供なので、カラヤンの音楽を聞いていると、精神がどんどん軽薄になっていくのが分かる。わたしには「耐えられない軽さ」としか感じられず、苦痛になる。
クラシックを気楽に楽しもう!というのならば、それでよいのでしょうが、わたしは、【外的価値の象徴】のようなカラヤンはご免こうむりたいと思います。彼のファンには申し訳ないですが、もしわたしの言っていることが変だとお思いの方は、騙されたと思って、クレンペラーのワーグナーを聴いてみて下さい。1960年~61年の古い録音ですが、幸いなことに、新技術(今年再発売のEMI MASTERS)でとてもよい音で聴けます。次元の違う世界を体感できるはずです。(なお、この輸入盤のCDは、HMVではとても安く買えます。)
どこまでも見通せるような透明性。
圧倒的な存在感。
微動だにしない精神の深み、大きさ。
まるで自然物のような安定とリズムの確かさ。
何もしていないのに、呆れるほどに強い表出力。
こんこんと地下からわき出る泉。
雄大な山脈の広がり。
広い海、永遠に繰り返す波。
演出ゼロ、まばゆい裸の魅力。
とんでもないものを聴いてしまった、誰もがそう思うでしょう。
武田康弘