民主党の政治哲学は、官との対決であったはずです。
国会議員が猿回しの猿にされている状態を変えるはずでした。
官が治める明治以来の「官僚政府」とも言うべき事態を変え、人民主権を徹底させ「民」が主体の社会をつくるはずでした。
「主権在官」から「主権在民」の国家に変えるはずでした。
でも、見て下さい。
「財務省」の意向通りの政治。
「経済産業省」の意向通りの原発再稼働
「宮内庁」の意向通りの天皇制の運営。
「検察庁」の意向通りの法務運営。
・・・・・・あげれば全部ですが、
【人事権】という一番重要な権力も、旧態のまま。官の集合意識が行う惰性態人事を変えることさえできません。
はやり、わが日本は保守主義(既存の枠組みが絶対)から出られず、アメリカと官庁の支配から抜けられないようです。
一人ひとりの内側から湧き上がる力=裸の個人としての実力がない人間をつくる型ハメ教育(事実学の累積=「東大病」)では、社会は変えられません。教育の地盤変位が必要です。左右を問わず「紋切型」が跋扈しますが、どちらも同じ穴のむじなです。
武田康弘