内田卓志さんからの個人メールですが、わたしもまったく同感で、公表する価値があると思いますので、ご紹介します。
※以下の内田さんのメールにある田中王堂の著作は現在中古を含めて入手困難ですが(学術出版会から2年ほど前に著作集6巻が出ましたが10万円近くします)、わたしは、だいぶ前に内田さんからコピーを送って頂きました。内田さんは、早稲田大学で哲学を講じた自由人・田中王堂の弟子であった石橋湛山と同じく早大の哲学科卒です)
なお、有用に哲学するという実践性に立つ田中王堂は、由緒正しきドイツ観念論(笑)・カント主義者の東大哲学科教授であった桑木厳翼(くわきげんよく)と激しい論争を行いましたが、桑木は、吉野作造と組んで「文化主義」の運動をしたので、哲学的には、NHKの番組のように吉野作造と石橋湛山を並列化して紹介するのは「非常識」なのです。
それを知らない番組担者や松尾尊さん増田弘さんと案内役の姜尚中さんらは、哲学には不案内なのでしょう。東大教授たちの啓蒙主義と、「民」を主体者=実践者と位置づける早稲田の田中王堂→石橋湛山とは、哲学思想の大元が異なるのです。これは極めて大きな違いですので、ご注意ください。
(NHK・日本人は何を考えてきたか第6回「吉野作造と石橋湛山」)
武田先生
石橋湛山を評価する人は、最近多いです。
ただ、なぜ石橋さんが、明治以来最大の言論人だったか、
そして戦後は総理大臣までつとめた政治家になったのか?
そこのところを考えないとダメだと思います。
石橋さんは、原理から思考することができる稀有な人
だったのです。つまり、思想家であり哲学者だったのです。
田中王堂から哲学することを学び(哲学ではなく)、それを
現実の生活に活かすことができた人でした。
哲学者と称する人は、世に数多いるでしょう。ただ、本物の
哲学者は少数です。戦前・戦中の京都の偉大な哲人より、石橋
さんの方が、偉大な哲学者だったと思っています。
断言しますが、石橋さんは、近代の日本人の良識の頂点です。
私たちは、そんな人を一時でも宰相に持ったのです。この体験は
世界的に稀な出来事です。
内田