思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「吉野作造と石橋湛山」(NHK)を見てー哲学思想への不案内    内田卓志

2012-07-12 | 恋知(哲学)

内田卓志さんからの個人メールですが、わたしもまったく同感で、公表する価値があると思いますので、ご紹介します。

※以下の内田さんのメールにある田中王堂の著作は現在中古を含めて入手困難ですが(学術出版会から2年ほど前に著作集6巻が出ましたが10万円近くします)、わたしは、だいぶ前に内田さんからコピーを送って頂きました。内田さんは、早稲田大学で哲学を講じた自由人・田中王堂の弟子であった石橋湛山と同じく早大の哲学科卒です)

なお、有用に哲学するという実践性に立つ田中王堂は、由緒正しきドイツ観念論(笑)・カント主義者の東大哲学科教授であった桑木厳翼(くわきげんよく)と激しい論争を行いましたが、桑木は、吉野作造と組んで「文化主義」の運動をしたので、哲学的には、NHKの番組のように吉野作造と石橋湛山を並列化して紹介するのは「非常識」なのです。

それを知らない番組担者や松尾尊さん増田弘さんと案内役の姜尚中さんらは、哲学には不案内なのでしょう。東大教授たちの啓蒙主義と、「民」を主体者=実践者と位置づける早稲田の田中王堂→石橋湛山とは、哲学思想の大元が異なるのです。これは極めて大きな違いですので、ご注意ください。

(NHK・日本人は何を考えてきたか第6回「吉野作造と石橋湛山」)

 

武田先生

 

 石橋湛山を評価する人は、最近多いです。

ただ、なぜ石橋さんが、明治以来最大の言論人だったか、

そして戦後は総理大臣までつとめた政治家になったのか?

そこのところを考えないとダメだと思います。

 石橋さんは、原理から思考することができる稀有な人

だったのです。つまり、思想家であり哲学者だったのです。

 田中王堂から哲学することを学び(哲学ではなく)、それを

現実の生活に活かすことができた人でした。

 哲学者と称する人は、世に数多いるでしょう。ただ、本物の

哲学者は少数です。戦前・戦中の京都の偉大な哲人より、石橋

さんの方が、偉大な哲学者だったと思っています。

 断言しますが、石橋さんは、近代の日本人の良識の頂点です。

私たちは、そんな人を一時でも宰相に持ったのです。この体験は

世界的に稀な出来事です。

                          内田

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする