思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

天皇ヒロヒトの戦争犯罪は歴史的事実ですが、なぜ、問題としないのか?原発責任の回避と同じ精神構造

2012-08-07 | 社会思想

最高責任者が責任を取らないことを見過ごす、きちんと批判しない。
こういう態度・言動・生き方は、一人ひとりの人間としての豊かさ、悦び、毅然性をつくらず、【正義】に反する人と社会を生んでしまいます。

 1932年の裕仁天皇の言動が、15年戦争への最も大きな影響をもったにも関わらず、その事実から目をそむけることで、日本の現代史は大きく歪んでしまいました。それは、わたしたちの国をウソと形式が支配する「建前国家」へと貶めています。

 原発問題も同じです。原子爆弾投下という恐ろしい罪の反省をしないアメリカ、その米国政府の意向に従って無責任に原発をつくり続けた者たちの責任は問わない、何が起きて支配的地位にいる人間は安泰。

 それでは、人と社会の内側から活力が生まれることはありません。【外】なる価値と力によって生きるダメ人間が大手を振るうようでは、「不幸のシステム」を維持する愚から永久に逃れられません。

 「私」の内側から湧き上がる生のエネルギーは、「形式的な上位者」に従う(皇族、東大、官僚が偉い!?)という歪んだ精神からは生じようがないのです。

 原爆記念と敗戦の8月、
「私」の心身の中から・内からの生を始めるための日にしたいと思います。

 

武田康弘

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