思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「わたしら兵隊はみな、天皇は『自害』するもの、と思っていた。」 亡き義父の憤り。

2012-08-12 | 社会批評

ちょうど2年前に亡くなった妻の父は、蓮田市に住む本家の長男でしたが、戦争の話しなど一度もしたことがありませんでした。

 ところが、亡くなる数年前の8月、わたしがテレビの映像をきっかけに天皇の話しをはじめたところ、突然、大きな声を上げ、集まっていた親戚は一同ビックリしました。

 「わたしら兵隊はみな、天皇は『自害』するもの、と思っていた。農家にとって人を取られるのは死活問題だ。戦争を起こした天皇が敗戦で『自害』するのは当然だ。わしら兵隊は皆がそう思っていた。それが、のうのうと生き続けたのだから、呆れたものだ!」

 政治とは縁のない、地方の農家の長男、しっかりしているが大人しい義父の言葉に、「あ~~~やっぱりそうなのか、これが心の思いなのだ。」ほんとうのこと(本音)が言える場=状況で出た「断固とした言葉」に、わたしは、震えるような感動を覚えました。妻の実家は、入母屋づくりの農家で、床の間には「天照大神(あまてらすおおみかみ)」と書かれた掛軸が飾られています。

 その場にいた親戚の方々は、何も言えませんでした。しばらく沈黙が支配しましたが、わたしが明治政府がつくった天皇制について簡潔に説明をすると、「うん、うん、その通りだな。」と頷き、顔面を紅潮させていました。

 天皇裕仁は、反省もせず、謝罪もせず、退位もせずに生き続けました。世界の歴史に前例のないことです。

 

 武田康弘

コメント (3)
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