天皇現人神(てんのうあらひとがみ)の明治維新後の超保守主義にしろ、
15年戦争における「集団同調イズム」(天皇教の別名)にしろ、
残念なことに、わが国の近代政治史は、「民の民による民のための政府」ではなく、「権力者の権力者による権力者のための政府」によるものでした。
古くは、一向宗(親鸞思想)による自治社会をはじめ、多くの民主的な自治社会が存在したわが国は、明治政府のつくった「近代天皇制」という一元的なイデオロギーにより、主体者としての民が消去されてしまいました。
いま再び、この明治の近代天皇制=国体思想に親近感をもつ国家主義者たちが、民主政治への検察よる介入が生んだ混乱に乗じて自分たちに都合のよい政府をつくろうとしていますが、これは極めて危険な事態で、恐ろしいことです。
主権者を天皇から国民へと転回させた戦後の「民主主義」を改良し発展させる方向ではなく、再び、政治的エリートとしての権力者が上から決定し、従わない者を排除するという日本式の集団同調社会(みんな一緒病)をつくることで「自らの野望」(=権力を好きに使う男の快感!)を果たそうとするのが彼らの隠れた目的であることは、そのウヨク的思想・体質=(天皇制的国家主義)を見れば疑いのないところです。
すでに石原都知事の下で行われている学校教育への露骨な介入(その象徴は、いま行われている裁判=弾圧に抗する元都立三鷹高校校長の土肥さんによる闘い)に現れているのと全く同様な、というよりも条例で教師を縛るという更に露骨な弾圧を強行(最高裁の判決にも従わない!)しているのが橋下大阪市長です。彼らの思想は、現代版の【劇画化したファシズム】と言う他ありませんが、このような想念をもつ人間が国政を支配したら、「人々の対等性を基盤とする民主制社会」=「自由を互いに認め合う人権思想に基づく社会」=「民主的倫理によるルール社会」は封じられてしまいます。
再び、権力者が方向性を与え、民はその思想(天皇制的国家主義)に従うという超保守主義への回帰ですが、わたしはファシズムを許しませんので、「維新の会」との全面対決をします。みなさん、ぜひ共に【民治主義】を現実のものとするべく闘いましょう!
求められるのは、【官治主義】(試験エリートによる支配)から【民治主義】(民主的倫理による人権ルール支配)への転回です。【完治主義】から【戯画的ファシズム】への転換ではありません。
武田康弘